2011年02月27日

パリの狐神楽の面々と会う1日

 どうも縁とは本当不思議なものだなと思う狐です。
 狐神楽との関係も正にその1つでありますが、今回はその縁から生まれた1つの縁と出会うべく日本を遠く離れた異国の地へと赴きました。
 向かった先はパリ、そうフランスの首都です。最もその為だけにパリまで日本から往復したのではなく、狐神楽と出会う辺りから企画していた狐塚君との欧州旅行の一環として、しばらく滞在していたベルリンより日帰りで往復したと言う次第でした。
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 最もこのパリ行もその時点で予定に組み込まれていた訳ではありません、実は確定したのは旅行に行く1ケ月ほど前。これは狐神楽に加わってから、最初の新年を迎えようとしていた昨年の年の瀬に知った新たな狐神楽のメンバーの存在があります。その名は弓姫と雪姫、何でも普段はパリにいて以前から狐丸さんのブログに書き込んでおり、年末に日本に帰ってくるのでその時に狐神楽の面々と会う、と言うものでした。
 とは言えこちらは諸般の事情により折角、彼女等が狐神楽の面々と会うべく王子に来ている時には自由に動く事は叶いませんでした。これは狐塚君も同じで、彼女等と同じく2人である自分等は狐神楽のメンバーの中で実際に面識を持った事の無い組み合わせとなってしまった訳です。
 だからこそ新年となってから稽古やゑの木市の場で、彼女等の話を聞く度に会ってみたいとの思いが強まったのは言うまでもありません。また年が明けてから彼女等、中でも弓姫さんとブログを介してやり取りをしている内に思いは更に強まり、2月の欧州旅行の際に比較的時間が空いている、また諸般の条件の整っているベルリン滞在の1日をパリに割く事に決まった次第でした。

 そう言う訳でベルリンの宿を出てタクシーでテーゲル空港に向かったのはまだ暗い早朝5時半頃の事。利用する赤い塗装が印象に残るドイツのLCCであるAir Berlinでようやく明るくなってきたベルリンを飛び立ったのは7時前の事で、機内で出された軽食を食べつつ途中で少しうつらうつらしながらも、パリのオルリー空港に到着したのは8時半頃の事でした。
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 そしてそこからはフランス以外では見た事の無い、ごろごろと回すマウス的な物の付いている自動券売機に戸惑いつつ、Orly ValとRER B線を乗り継いでパリの中心部にあるSt-Michel-Notre-Dame駅で下車します。
 この駅名、サンミッシェル・ノートルダム駅と日本語に直すとなる様にノートルダム大聖堂の目の前に出口のある駅でして、この前の広場で弓姫さんと合流する事になっていました。
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 とは言え少しばかり早く着いたのもあってしばらく広場をウロウロと。途中で募金を求める一団に纏われたりもしましたが、無事に弓姫さんと合流してまずはノートルダム大聖堂の中を見学して色々と話をしつつ、更に周辺をぐるっと歩いてからいざ弓姫さんの自宅へと向かいます。
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 弓姫さんの自宅はパリの中々良い場所にあり、空港から都心までの妙な緊張感の漂う中を歩いてきた自分達としては中々落ち着けたものでした。そしてそこで雪姫さんとご対面となり、挨拶と共にコーヒーを交えた雑談をしてから、お2人の案内でパリの骨董市であるクリニャンクールへとメトロで向かいます。
 なおその途中、狐塚君が下の写真の様に謎のポーズとなりましたが風麿流のジョークですので何の問題もありません。
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 パリと言う街は初めてだったものの、日本にいる時からかなり治安が悪い、と聞いていましたが実際に歩き、そして弓姫さん、雪姫さんからの話をうかがうと、これまでに立ち寄った欧州の各都市とは全く違うその顔には何とも驚かされたものです。少なくとも鉄道を利用してこれほどまで緊張した経験は初めてのものでした、またベルリンやロンドンでは見た事が無いほどの多くの物乞いや物売りの姿は強く印象に残っています。
 しかし一方ではこれ等は格好の関心の対象でもありました。都市だとかその辺りを軽くかじっていたのもあるかもしれませんが、実情と共に形成過程と言うのは大いに興味を惹かれるものです。
 だからこそ以前に日本で読んだフランスのバンリュー問題を取り上げた書籍で得た知識との符合や比較は大いに楽しいものでした。そしてそう言う社会状況と共に建築物に関しても、ロンドンやベルリンとは異なる如何にもフランスらしい姿には視線が頻りに向かって止みませんでした。

 そしてクリニャンクールはとても面白かった、と言えましょう。ロンドンのAngelの骨董市では28ポンドも使ってしまい、ちょっと財布が寂しかった事、またスーツケースの容量等を踏まえてあくまでも眺めるまでに止めてしまいましたが、色々と心惹かれる物は多くあり、ロンドンのそれよりもかなり大きいその姿には大いに興味を惹かれてなりませんでした。
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 それでもある骨董品店で見かけた各国の紙幣、偽造物も混ざっているかと思いますがそれ等には手が伸びざるを得ませんでした。1枚1.5ユーロと言う価格もありましたが、韓国の10チョン紙幣、共産中国の1角紙幣と経済成長に伴うインフレに伴い、実質的に消滅してしまった補助貨幣単位。
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 また戦前のドイツの1レンテンマルク紙幣やユーゴスラビアやポーランド人民共和国と言った過去の国家、そして経済混乱期のロシアのクーポンとわざわざベルリンに行って、かつてのKPD本部は今どうなっているのか気になって見に行ってしまった身としては大いに食指が動く範囲の物を9枚ほど購入してしまったものです。
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 全体としてみるとユーゴスラビアとポーランド人民共和国、そしてロシアの紙幣が多かったのが印象的でした。また本来であれば13.5ユーロ要するところ、10ユーロに負けてもらえたのは嬉しいところ。それ以外でも緑色の面白い帽子も見つけたりしつつ、すっかり満喫出来たクリニャンクール歩きでした。

 再びメトロに乗って弓姫さんの近所へ、そして料理店にて中々美味しい昼食に舌鼓を打ってから一旦自宅に立ち寄り、軽い休憩の後にセーヌ川沿いに歩いて探索をしながら凱旋門まで散策となりました。軽く霧雨も降る中でしたが話も弾んであっという間のひと時であったのは言うまでもありません、狐神楽における狐としてのキャラクター的な話でも、またそれ以外の個人的な事柄でも盛り上がりました。
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 特に雪姫さんと色々な接点、それは間接的ではありますが育った土地や地域を通じて接点があった事には互いに驚いてしまいました。またドイツに関して自分はベルリンが中心ですが、雪姫さんはミュンヘンと場所こそ違いますが、そちらにおいても関わりがあったのもあったのは驚きであり嬉しかったものです。
 そんな具合なのでシャンゼリゼ通りに抜ける辺りまでは、雪姫さんと自分、そして狐塚君と弓姫さんと言う組み合わせに軽く分かれており、自分達の方がやや足が速かったので途中で間隔を調整しつつ凱旋門へとたどり着いたのでした。
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 よって全体としては狐神楽よりもそれ以外の話の方がメインだったかもしれません、しかし初めての対面であったのを踏まえると良い展開であったかと思います、だからこそメトロの車内で別れる時は寂しいものでしたし、また何時か必ず会いたいと思えてなりません。

 何はともあれこの場を借りる形となってしまいますが、当日は弓姫さん並びに雪姫さんには色々と面倒を見て頂きありがとうございました。
 またどこかで、それがベルリンかパリか東京か、は分かりませんがお会い出来たら幸いに思うばかりです。そして夜叉君や雪椿君にもよろしくお伝え下さい。

 写真は紙幣の写真以外全て2011年2月21日撮影、1枚目はセーヌ川沿いにはためいていたフランス国旗、2枚目はテーゲル空港に駐機中のAir Berlinの機体、3枚目はオルリー空港にあった空港公団のマーク、4枚目はメトロの駅にあったフランス独特の形をした券売機、5枚目は生暖かい微笑で、6枚目はクリニャンクールの入り口、7〜9枚目は2月27日撮影のクリニャンクールで購入した紙幣、10枚目はパリで食べた昼食、11枚目はセーヌ川にかかるルーブル美術館へと続く橋、12枚目はコンコルド広場のオベリスクと観覧車、13枚目は凱旋門となります。
posted by 冬風 狐 at 13:01| Comment(3) | TrackBack(0) | 狐(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

結局持ってきてしまった撥

 どうも結局撥を手にして欧州へ来てしまった狐です。
 以前の記事にも書いた通り、形状として棒状ですから航空機の保安検査で引っかかるのではないかと危惧していたものですが、何だか置いていくのが忍びなく、結局楽譜と共にかばんに入れて持って来て空港へ行ってしまいました。
 そしてそのまま機内持ち込み鞄に入れて保安検査へと向かったのですが・・・全く引っかかる事は無く、そのまま機内に持ち込んで今、この記事を書いているロンドンのホテルの机の上にあると言う次第です。形状として棒ですが木材なので引っかからなかったのかもしれません、最も日本の空港の検査は欧州の空港に比べると緩いのでその辺りも考慮しなくてはいけないでしょう。
 取り敢えず今、ロンドンは深夜の2時半頃ですし日本の様に深夜営業の店もそうある訳ではありませんので、音を立てずに、撥を手にしてしばしの練習をする時間は結構あるもの。
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 流石に狐面は持ってきていないのでロンドンのホテルの中とは言え、ゑの木市でしている様な格好を完全にする事は出来ませんが、改めて狐神楽と言う存在が自分の中で一部になりつつあるのだなぁと、今回の採った行動には我ながらその様に納得出来てしまえてならないのでした。

 何せ機内でも狐塚君と共に狐神楽について、特に狐塚君がこれから製作する狐面についてしばしやり取りをしていた物です。そのお陰でこれまで4回成田〜ロンドン線は使っていますが、最も体感した時間の経過と言うのは短く、そして快適なフライトでした。
 また予定では来週、パリにて狐神楽パリ支部の皆さんともお会いする予定です。それ以外でもTwitterを通じて知り合った方々と幾らかお会いする、これまでの欧州旅行と比較して人に会う、その要素が多く含まれている行程になっています。だからこそ色々と今までにも増して見て回りたいものですし、そしてその中で日本における自分を意識する事が出来たら、そう思えてならない現況報告でした。
posted by 冬風 狐 at 11:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 狐(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月09日

無事に終わった初午の1日

 どうも昨日は装束稲荷の初午に参加してきました狐です。
 今年はお稲荷さんが伏見稲荷のある稲荷山に鎮座されてから1300年目の節目であり、その様な初午に立ち会えた事、それもただ訪れるのではなくある程度はその運営を手伝う事が出来たのは大変貴重かつ嬉しいものでした。
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 最も普段のゑの木市と比較するとその度合いと言うのは小さかったと言えるでしょう。これは初午と言うのは去年から始められた毎月第三土曜日のゑの木市と異なり、古くから行われている縁日であり祭礼でありますから、結果として地域の方々がその主体となります故にその大半の時間は狐神楽関係の撮影や案内等、その様な事に時間を費やしていたものでした。
 初午ですから装束稲荷とは線路を挟んだところにある王子稲荷でも祭礼が行われていた事、また初午の縁日は火伏せの縁起物である凧を売る凧市でもある事から多くの人がお参りに来られ、装束稲荷の一帯は一時は立錐の余地も無いほど人が集まり、それは盛況な有様でした。
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 その中で甘酒の無料配布も行われていた他、普段と同じく栃尾の油揚げに加え、焼きそばやイカ焼き等の販売もされていましたので、お参りがてらそれらを飲み食していた事もその様に人であふれ返った要因のひとつなのでしょう。そしてその中で行われた狐神楽の舞は何時も以上に注目を集めまして、多くの人に撮影され、また舞が終わると盛んに拍手を浴びていました。
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 そんな狐神楽のメンバーで今回参加したのは自分を含めて、火狐さん、水狐さん、花姫さん、相模狐さんそして狐塚君の6名。
 何時もは一緒に来る同じ高崎に住んでいる土狐こと狐耳君は生憎都合により参加出来ず、残念なところでしたが、久々に花姫さんともお会い出来、また狐塚君や相模狐さんも来た事から合間合間には色々と歓談出来たのも楽しかったものです。
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 最も今回、自分は参加したとは言えど、その手に狐面はありませんでした。どうしてかと言えばそれは簡単な事、持って来られなかったからと言えます。
 より正確に書くならば狐面自体は比較的近い場所、やや大雑把になりますが南関東の中に存在していました。そこまでは自分が持っていったものですからではどうして王子に持ってこられなかったのかとすれば、それは即ち託した狐塚君が自宅に忘れてきてしまったから、となります。
 これは自分が初午の朝まで各地をぶらぶらと歩き回っていた事が一因となります。今回の旅の途中、即ち高崎から夜行バスで金沢へ移動し、福井を歩いてから静岡へ飛び、東京に戻る前半の過程では狐面を携帯していたものでした。しかしその後の旅程の事を考えますと、狐面を持ち歩くのは適当ではないと考えられましたので東京に一旦戻った際に狐塚君の家に泊めてもらうと共に、狐塚君に狐面一式を預けて初午の日に持って来てもらう様に頼んだと言う次第でした。そして自分は翌朝、狐面を残して宮崎へと移動したのです。
 ところが当日、いざ王子で会うと彼の手元が妙に空いています。その瞬間に抱けたふとした嫌な予感の中で、それでもどこかに預けているのかもしれない、そう信じて狐面の事を尋ねると家にうっかり忘れてきた、と妙な微笑の一言が返ってくるでありませんか。
 軽く唖然としてしまったものですが、改めて考えますとこちらから預けて頼んだ話でありますし、そもそも自分がそう言う旅程にしていなければこうはならなかった話でもあるのでこうなると致し方ないとしか言う事は出来ないでしょう。
 よって狐面一式は比較的近くにあるのに手元に無い、そんな奇妙な状態になってしまったのです。ちなみに朝まで各地を、と書きましたがこの日の朝は福岡にいたもので朝の便で羽田に飛んできてその足で王子に来た、そう言う旅程になっていました。そしてその際もふとしたトラブルがあった為に羽田到着が1時間ほど遅れていたので、それを踏まえると初午に参加出来た事、そこにありがたさを見出すべきであるとも言えるでしょう。

 ハプニングもありつつの初午ではありましたが、本当に参加出来て良かったと思える限りです。また狐神楽のメンバーで参加したのは6名と書きましたが、週末から出かける欧州旅行の途中、パリでお会いする予定の狐神楽の一員である弓姫さんのお母さんが途中で来られ、挨拶と共に色々と話が出来た事は大変ありがたいものでした。
 そして改めて楽しみに思えてしまうところですし、自分も英語とドイツ語をしっかり学びたいと思えたものでした。矢張り好きな事柄は極めたいもの、とお話を伺っていて感じたのでした。
 他にも相模狐さんは今回は堕狐面ではなく、黒狐の着ぐるみ、夕院の姿での参加でしたのでその姿は中々の注目を集めていました。最も「黒い」狐と言うのが中々分かってもらえない、つまり狐と言うと狐色か白と言う認識が一般的であるのをしれたのは貴重な収穫で、狐である事を説明すると驚かれる人は多かった物でした。
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 またご高齢の方には「狼」、子供からは「ワンコ」と年齢によって異なる見方をされていたのも特筆出来る事、かもしれません。

 そんな大盛況の初午も14時頃からゆったりと終わりの空気になっていき、16時前には完全に終了。その後はメンバーで4時間ほど打ち上げと意見交換をしつつの食事をしてから王子の街を後に。色々とあったものですがだからこそ、印象深いの一言に尽きるそんな初午の1日でした。
 それでは皆様お疲れ様でした、またよろしくお願い致します。
posted by 冬風 狐 at 17:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 狐(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月01日

1月末の再度の稽古とパリへの興味

 どうもふとした用事が出来たお陰で1月の末にまた稽古に参加出来た狐です。
 今回も稽古の会場は何時も通りに浅草の一角、秋葉原での用を済ませてから上野駅で相模狐さんと月姫さんと合流し銀座線にて向かいます。
 初めて単身、つまり何時も一緒に行く狐耳君がいない稽古への参加でして、会場にて狐丸さんと合流した後、早速始まります。

 今回の稽古は相模狐さんと月姫さんが久々の参加であった事もあるので、彼等のペースに合わせる形となりました。最も最初の辺りでは色々と狐丸さんからの話を聞き、そして返すと言うやり取りもありましてその中では今後の狐神楽の形態、どちらかと言うと役割分担ですが、それに関して明確になってきたのは何とも良い事であると思いますし、だからこそその中での鳴り物役としてしっかりと努めていければ、と改めて思えてなりません。
 その後はしばらく太鼓の稽古、これは自分にとっては太鼓が役目になっていますが、狐神楽をやるからには太鼓は基本として出来る様に、と言う意味合いもあってしばらくした後、水狐さんもやって参りましたので総勢5人での稽古と久々に人数の揃った光景が広がります。
 そしてそこからは個々の役目にあわせて別々の稽古へ移行します。自分と相模狐さんは太鼓、月姫さんは笛、そして狐丸さんと水狐さんは舞の稽古をそれぞれでしている内に、ふと気が付けば時間はあっという間に過ぎて散会の時間となりました。
 
 今回はこれまでにしてきた曲の確認と、今後新たに習得する曲を知る。そう言う具合の稽古に自分にとってはなりましたが前述した通り、狐神楽の中の役割分担が明確化してきた、と言うのは歓迎すべき事ですし、だからこそ励んで行きたいと思います。
 また雑談の中で昨年12月30日に狐神楽の主要なメンバーが揃った際の事でふとした興味を改めて抱いたもので、それは狐神楽パリ支部の皆さんに会いに行こうか、と言う事。今月は欧州へ行きますし、1度パリ支部の方、即ち弓姫さんとブログを解してやり取りをした際に今回はパリへ行けそうにない、と返してしまったものですが色々と話を聞いているとこれは会ってみたいとの気持ちになって仕方なくなった次第です。
 取り敢えず話が直前ですし、先方の都合次第と言うのもありますが狐塚君共々、前向きに考えている次第なのでした。元々フランスには行く予定でしたし、それを思えば可能な事なのです。

 それでは皆様、今回もお疲れ様でした。ありがとうございます。
posted by 冬風 狐 at 03:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 狐(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月27日

徹夜明けの近場の稲荷巡り・児玉駅界隈

【探訪日時】2011年1月26日
【場所】埼玉県本庄市児玉町児玉付近
【神社名・交通手段】
・並木大明神
→八高線児玉駅より徒歩3分程度、武蔵観光バス児玉駅バス停至近
・正一位稲荷神社
→八高線児玉駅より徒歩10分程度、朝日バス児玉駅入口バス停・武蔵観光バス埼玉りそな銀行前バス停より徒歩2分程度
・正一位稲荷大明神
→八高線児玉駅より徒歩13分程度、朝日バス連雀町バス停より徒歩3分程度
・東石清水八幡宮及び境内稲荷神社
→八高線児玉駅より徒歩15分程度、朝日バス連雀町バス停より徒歩3分程度
・龍體稲荷神社
→八高線児玉駅より徒歩10分程度、朝日バス児玉小学校入口バス停より徒歩2分程度

 どうも冬の朝と言うものは寒いものですが、それだけに見える景色が澄んでいて美しいと思う狐です。
 さて昨日は色々としている内に徹夜してしまい、下手に寝るに寝られない時間になってしまっていたので、以前から足を運ぼうと考えていたお稲荷さんへと足を運んでみる事にしました。
 そんな訳で家からのんびりとまだ真っ暗な朝の夜道をのんびりとしばらく歩き、高崎駅から乗り込んだのは高崎駅6時4分発の八高線。キハ110の3両編成で改札口側の最後尾車両と自分の乗っていた中間車両に疎らに人が乗っている程度でしたが、時刻表を見ると高麗川辺りでの輸送力列車となるのでしょう。
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 そんな列車に腰を下ろして新聞を読みつつ、途中でふと窓に視線を向けるとこれまた見事な払暁の輝きに東の空が満たされており、しばしそちらを眺める等している内に下車する児玉駅に到着となります。
 児玉駅に降りるのは初めての事、ちなみに下車したのは自分だけで他に10人程度が乗り込んでくるそんな具合になっていました。そして出発していく列車を見送ってから改札口を出て早速今日の稲荷巡りの始まりです。
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 まずは駅前から真っ直ぐに伸びる道を歩んで100メートルほど行った所にある、Yショップヤマザキの看板のある商店の角を左手に曲がり、すぐの角を右手に曲がった先に見える神社へと向かいます。
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 赤い鳥居に赤く塗られた途端で覆われた社殿と言う姿のこの神社の名前は「並木大明神」、来る前に確認していた地図にその名前を見かけて、ふと気になったので来て見ましたが狛犬も狛狐もないので何の神社かは分かりませんでした。
 敷地はこぎれいで鳥居には注連縄、傍らにある祠には真新しい御幣もありましたから、この辺りの人々によってしっかりと維持されている事が伺えます。
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 お参りの後は再び駅からの通りへ戻り児玉駅入口の交差点を左へ。
 するとちょうど本庄駅に行くバス停「児玉駅入口」がありまして、ちょうど来たバスが行った後に時刻表を見てみると大抵の時間は1時間に2本設定されており、比較的本数が多く八高線よりも利用されているのではないかと言う気がしてしまいます。
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 なおこの道路自体は国道254号線でこのまま進むと群馬県、道路標識には富岡と藤岡の文字が書かれていました。
 そしてその交差点より200メートルほど進んだところにある郵便ポストの角を右に折れて狭い路地へ。
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 自動車が来たら幅一杯と言うほどの狭さで磨り減ったアスファルトの上に砂利が無数に落ちている、歩く度にじゃりじゃりと音が響く中を抜けた所が次なる神社である「正一位稲荷神社」。神社は仲町会館と言う集会所に隣接しており、この辺りの氏神さんなのでしょう。また鳥居の前のスペースは駐車場として活用されていました。
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 敷地は社殿と共に先ほどの並木大明神よりも大きく、その字の如く社の姿をしています。鳥居は両部鳥居で脇には石灯籠もあり、敷地内には木も映えているので小さいながらも存在感のある姿になっています。
 また狛狐もおり宝珠や鍵と言ったものはありませんでしたが、中々柳眉な瞳をしており美形と言えましょう。なお右手の狛狐の台座の前には白い焼き物の狐像も置かれています。
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 由緒等を書いた物は見当たりませんでしたが、敷地の一角には「東宮殿下 御渡欧記念」の石碑、仲町会館の壁には稲荷神社への社殿を整備したときの寄付者の名前一覧があったものでした。また狛狐の台座には「大正十年九月建立」の文字が彫られていました。
 
 そして再び国道254号線に戻って再び南下、辺りは次第に明るくなってきており交通量も段々と出て来たので町が起き出した事を感じられる中を更に進み、仲町交差点を過ぎてカーブを過ぎると道路の反対側に何やら無数の赤い幟がなびいているのが見えます。
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 実はこれを見るのは2度目で、先ほど正一位稲荷神社に向かう際、うっかり曲がるべき路地もう1つ先であると勘違いして通り過ぎてここまで来てしまったのでした。
 その時にこの幟、そう「正一位稲荷大明神」と書かれているお稲荷さんの幟を見て、位置がおかしいと言う事に気づいて一旦引き返しようやく正しい角を曲がってお参りが出来たのでした。そして再びここにやって来て、地図には載っていなかったこちらのお稲荷さんへのお参りとなります。

 このお稲荷さんの参道は正一位稲荷神社への参道よりもずっと狭い、正しく路地と言えるもので舗装はされていません。それに沿って赤いお稲荷さんの幟が無数にはためいているのは中々良い光景でしょう、そして付近の住人の生活の道としても活用されている様で、歩いていると神社の方から自転車が走ってきましてすれ違ったものです。
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 そうして路地の突き当たりにあるのが「稲荷大明神」。その姿は入口の時点で見えていましたが目の前に来ると瓦屋根の木造の社が、軒先にあるいかにも昔を感じさせる白熱電球の明かりとマッチしており、何とも心地よい雰囲気に満ちています。賽銭箱は社殿の中にある様で外にはありません、また中には太鼓も置かれており、お祭りも行われている事が伺えます。
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 ちなみにこの路地はお稲荷さんの所で角になっており、そのまま進むと児玉郵便局のある通りに出る様です。また事前に確認した地図ではこのお稲荷さんの名前はなかっただけに、嬉しい機会となったものでした。

 稲荷大明神を後にして次に立寄ったのは254号線に面してある「東石清水八幡宮」、旧社格では県社であるこの八幡さんは敷地の脇に江戸時代の高札場が移築されて保存され、文化財となっています。
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 この八幡さんはかなり大きな敷地であり、鳥居をくぐって中に入った所にある由緒を読むと平安時代から存在する古くからの八幡さんであり、現在の社殿も享保7年(1722年)に建てられたものである事が分かります。
 また神楽殿や参道途中にある随身門、そして日清戦争に出征した兵士が帰郷後に奉納した大絵馬、そして社殿前にある銅製鳥居や社殿自体も児玉町(現 本庄市)や埼玉県の文化財として登録されているとの事です。そして本殿にある竜や獅子の彫物は中々の躍動感があり、しばし視線を奪われます。
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 なお本殿前の鳥居の下には茅の輪が設置されていました、節分祭りに関連してのものなのでしょうか。そして本殿にお参りした後は境内を色々と観察、道路からも見えた池には鳥羽の二見浦の様な具合になっていましたが、水はすっかり氷結しており、この辺り一帯の防火用水とされている旨の看板が設置されています。そして池と通路を挟んで無数の石碑のある塚が作られており、富士塚か何かかと思いましたが、そう言う物ではない様です。
 また社殿に沿って小さな社が並んでおり、そこには日枝人事や八坂神社等がそれぞれ配置され、稲荷神社のその中にありました。これ等は社殿に対して小振りであり、余り手入れがされていない印象。
 また天満さんの所に何故か白い狐が置かれていて、稲荷神社には置かれていないと言う不思議な光景も見られたものです。そしてちょうどこの時、太陽が家々の間から顔を出したので境内は朝日の輝きに包まれたのでした。 
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 八幡さんを後にした後は一路、254号線を進みます。途中にあるモノリス看板で改めてその位置を確認し、本町交差点を過ぎてボタン式信号機のある角を右手に曲がると、そこが今日最後にお参りをする「龍體稲荷神社」。
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 最も鳥居は少し隣の路地の側にあったので、改めてそちらに向かうと古びた石の旗竿立てがその両脇にありました。しかしこの道自体はこの奥にある寺院への道となっている様で、お稲荷さんはその途中で分岐する形ですから、お稲荷さんの物ではないのかもしれません。
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 また鳥居のところから道の進む方角を見ると地蔵堂があり、そしてお稲荷さん自体が寺院風の建築であったのを見ると、かつてはこのお稲荷さんと奥の寺院は同一の存在ではなかったのか、と言う推測が出来ます。また敷地内にある木々には皆注連縄が巻かれており、庚申塚の姿もありました。そして社に隣接して「本町」と書かれた倉庫の様な物が建っており、構造からするに山車でもしまわれているのかもしれません。
 また龍體稲荷の名の如く、ここにも見事な木彫りの龍がおりました。やや見難い位置にあるのですが、それでもその躍動感は伝わってくるものでした。
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 そうしてお参りを済ませると本町交差点まで戻り道なりに児玉駅へ。7時28分発の列車にはぎりぎり間に合わなかったものの、児玉駅始発の7時45分発の列車に乗り込んで高崎に戻ったのでした。
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posted by 冬風 狐 at 04:35| Comment(2) | TrackBack(0) | お稲荷さん探訪録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月23日

自主稽古と狐面のリニューアル

 前回の記事では何時稽古をする時間が出来るか、と書いたものですが出来る時は出来るもので、今日は午後から2時間ほど狐耳君と共に太古の稽古をしていました。
 今回からは新しい曲にも手を付け出しましたが、それと同時にこれまでは曲を覚える事、そして撥を操る事に慣れる、それを中心にしてきたので余り重視していなかった事柄も意識しつつ取り組む事になりました。それはある種の間合いを作ると言う事でしょう、ただ叩くのではなく連続して叩くところにほんの一拍の間を空けると言うものですがこれが意外と出来ず、しばらく繰り返した結果、何とか出来る様にはなりました。
 確かにその一拍があるとないとでは同じ叩くでも大分印象が変わるものです。何よりリズムと言うのがより明確に刻める様になると言えましょうか、そう言う点で今回の稽古は狐耳君との自主練であるとは言え中々有意義なものでありました。これからしばらく3月中ごろまでは色々とまた動き回る時期が続き、練習の機会も中々得られないものですが折角覚えた今回のリズムを忘れない様、努めて行きたいものでした。

 そして練習の後は雑談を色々としつつ自分の狐面の手入れをしていました。
 当初はヒゲの付け替えがメインだったのですが、色々と紆余曲折した結果、ただの手入れのはずが狐面のデザインのリニューアルにまで及んでしまいました。
 まず以下の写真が手入れを始める前の姿です、見えている歪んだヒゲをそれぞれ取り外し新しいヒゲに取り替える予定でいました。
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 どうしてヒゲを取り替える事になったのかと言うと、当初扇形の形に調えてヒゲを付けたものの、いざ持ち運んでみるとそれまでの鞄では横に狐面を入れなくてはならず、結果としてヒゲが潰れてしまった為です。また狐神楽関係の道具は一箇所にまとめて置いた方が色々と便利、現状でも狐面の他に撥や楽譜、また身につける布地と幾つかありますから、全てをまとめられる専用の鞄を欲していました。
 とは言え意外と要求を満たす鞄はないもので色々と探し回った結果、先日立寄った高崎駅の無印良品にそれはありました。購入したのは女性向のコスメ用の大きな鞄、ちょうど狐面の大きさと縦やマチの長さが余裕を含んで無駄なく合いましたし、中は購入者の都合に合わせて自由に組める様にと基本はガランドウ、そして今ある道具を入れてもなお余裕がある深さ、と条件が見事に揃っていたので購入に至ったのでした。
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 価格も2900円と中々お手頃なところで助かったものですが、これにより余程手荒く扱わない限りヒゲが壊れる事はまずなくなったのでヒゲの手入れ、つまり瞬間接着剤の解除液を用いてヒゲを固定している接着剤を溶かし、新たな狐ヒゲを入れる、新しい物に交換すると言うのが当初の手入れの内容だったのです。言ってみれば中々単純な事でしょう。
 しかし実際に試みてみるとそう上手く行きません、何せ幾らやっても全然接着剤が剥がれないのです。どうやら予想以上にしっかりと接着剤の成分がしみこんで固まっているらしく、全く剥がれず埒が明かない事を受けてやり方を変更。
 まずはヒゲの出ている部分を切断し、狐面にヒゲを通す穴を開けた時と同様に太い針で穴を開けて貫通させようかとしましたがこれも上手く行かず断念。何より張子自体が実は結構薄く、故に軽くて使いやすい狐面なのですが、余り力を入れすぎるとそ破損する恐れがあったのも一因となります。

 結果として更に内容を変えてヒゲはそのまま活用する事になりました。実は取り替える予定の新しいヒゲは色をつけたものにする予定で、既に色を塗った新しいヒゲを別に用意していたのです。しかし現状のヒゲが取り外せないのなら、そのヒゲを活用するしかありません。
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 こうなると一箇所のヒゲを切ってしまったのはある意味失敗でしたが、今更戻る訳ではないので何とかそれを活かすしかありません。
 幸いと言えるかもしれないのは表側からかけた解除液の影響で、一部のニスが剥がれてしまった事もありましたからニスを上塗りする必要が生じた事です。よって新しい色、つまり模様を追加してその切断面を覆ってしまう事にしました。またそれ以外の場所でも少し色を足した結果、以下の様な狐面へと変化しました。
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 一見するとどこが変わったのか分からないかもしれませんが、まず正面から見て気が付くのがヒゲでしょう。前と後、それぞれ一対になっているヒゲの前側は緑色とし、後側は桃色に染めました。ヒゲのバックが白色でしたので、これまでの白色のヒゲは余り目立たなかったので敢えてはっきりとした色合いにしてみたのです。
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 そして続いての写真は正面右側のヒゲ、こちら側の後側のヒゲを切断してしまったのでその部分を覆うべく、桃色の筋を1ついれてあります。また前側のヒゲの先に緑の点があるのはアクセントと言う事で、これ等は正面から見て左側には何れも存在しない右側だけの特徴となります。
 最も左右どちらにも新たに追加された色が1つあります。それ黄緑色です、これは顎の濃い緑と頬の青色が比較的に通った色合いの為、その境目が分かりづらかったので分かり難さを解消すべく追加しました。
 なお塗ってからこれは横浜線の帯の色に似ているな、と思ってしまった時には不思議と微笑まずにはいられませんでした。その横浜線の写真は2009年8月15日に淵野辺駅近くのお稲荷さんへ行った際に撮影したものです。
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 その様な具合で昨年制作して以来、最大の変化を遂げた自分の狐面「風麿」。今後とも色々とあるかもしれませんが大事にしていきたいものでした。
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2011年01月18日

太鼓の練習と狐神楽での名前

 どうも太鼓の稽古をする時間を何処に作れるか、と思いながら予定とにらめっこしている狐です。
 狐神楽では自分は以前にも紹介しました様に鳴り物担当、中でも太鼓を主に任せられています。任せられている、と書いたものの実態はまだまだ練習中の身であり、先の土曜日に初めて本物の太鼓を叩いた所からもそれは明らかなものでしょう。
 確かに10月末に初めて太鼓の撥を手にした頃から比べると、全くしていなかった時と比べればずっとそのリズムや楽譜は分かる様にはなってきました。しかしとても人前で見せられる代物か、となるとそう言う事は皆目ないレベルでとにかくまだまだお話にならない程度であるのは言うまでもないでしょう。それを考えるとまだまだ足らない、練習即ち稽古あるのみであるのが事実であり、日曜の晩にありました稽古の席ではその事を強く意識せざるを得なかったものでした。

 しかし幾ら練習あるいは稽古したくとも様々な壁があるのも事実です、特にそれは時間でしょう。少なくとも、これは自分と外部の要因、それぞれで半々と言うところで2月まではほぼ予定が埋まってしまっています。
 最も予定が埋まっている=全く手が出せないと言う事はありません、端々に空いている時間はありますから短時間でもそこを利用すれば良い訳です。また、これは既にしている事ですが昨年末に頂いた御囃子のCDを再生させながら別の作業に打ち込んでいる、と言うのも個人的には結構効果あるところなので引き続きしていきたいところです。
 そんな具合で何とか練習は継続出来そうなのでホッとしていますが、2月の半ばから後半にかけてしばらく海外に行ってしまうのでその間をどうしようかと地味に思案しています。一番良いのは撥と楽譜を携行、滞在先での暇な時間に叩いている事ですが昨年にヒースロー空港にて、鞄の中に入れていた神社のお守りを不審物として疑われた一件が地味に引っかかるところであったり。
 何せ海外です。お守りの時は「Japanese lucky charm」と言う事で係官は納得してくれたものですが、太鼓の撥はさてどうしたものか。昨年末から何かとテロ情報が流れ、そしてストックホルムで実際に自爆テロが起きて色々とぴりぴりとしているであろう欧州を巡るのを踏まえると、なるべく疑われる可能性のある持ち物は減らしたいのが本音ですのでそれなりの期間、太鼓の撥としばし離れる事になりそうなのが残念であります。

 そんな具合でまだまだ当分は鳴り物役、としては練習と稽古に励む事になりそうですが色々と決まる事は決まるものでして、15日のゑの木市においてある物を狐丸さんが示して来ました。
 それは狐丸さんの作られた真新しい巻物、中に何が書かれているかと見ますと狐神楽の団員全員の言わば名簿的な巻物でした。そこにある名前は狐神楽における狐としての名前、となる訳でして自分の場合は野狐衆に分類された上で「甲斐狐の風麿」と賜ったところです。
 どうして風麿となったのかはまた書く機会があれば取り上げたく思いますが、個人的な感想を書くならば「麿」と付くとは思わなかった、と言えましょう。だからこそ印象深いものですし、名前を賜った以上、更にそろそろ舞台衣装も調えないとの話も狐神楽に行く度に出て来ているだけに、自分の任せられた太鼓に関してはしっかりと練習と稽古を積んで整えて行きたいもの。
 そして狐神楽関係で書く時、あるいは名乗る時は「風麿」と名前を変えるべきなのか、とふと過ぎっています。名乗る時はある意味当然でしょうが、書く際は果たして何処でどう「冬風 狐」と棲み分けさせようか?ちなみにこれまでは「甲州狐の冬風」と呼ばれていました。
 大した事ではないかも知れませんがふとした目下、太鼓の練習時間確保と共に重大な狐神楽に絡んだ関心事の1つなのでした。ふ太鼓がまだまだであるのに狐神楽としての名前を名乗って良いのか、と言う複雑な気持ちを抱いてしまうのも重大な関心事と見てしまう一因なのかもしれません。
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2011年01月16日

新年初の装束ゑの木市と初稽古

 新年明けて15日目の昨日は今年初の装束ゑの木市となりました。
 15日目、と言うとなんだが新年と言う気分もどこへやら、との具合になってしまいますし、この間に既に2度装束稲荷へはお参りに行っていますので実感としてもそこまで新年らしい心地ではないものです。
 その様な事情があるとは言え、昨日が今年最初のゑの木市であるのは変わりありません。また大晦日の狐の行列に参加出来なかった自分にとって、狐神楽の団員の多くと一堂に会せる今年初の機会となるからこそ、今回もまた狐野君と共に、−3℃の気温表示を朝7時台に街頭の温度表示計が示している高崎の街を、自転車で横切っては高崎線に乗り込んでいざ王子の街へと向かったのでした。

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 王子に着いたのは10時直前の事で普段よりもやや遅い頃合でした。とは言えまだ装束稲荷では準備の最中であり、傍らに荷物を置いて幟を立てる等の手伝いをしている内に気が付けば11時の始まりの時間となっていました。
 昨日のゑの木市に参加した狐神楽の団員は自分と狐野君を含めて5名。12月のゑの木市がほぼ全員揃ったのに比べると対照的な人数ですが、昨年末より新たに加わりました団員の月姫さんと共に油揚げをまずは売る等して過ごします。
 また今回は20色限定でネギ入りカレーうどんが1杯300円で販売され、1杯試食させて頂かせてもらいましたが昼頃にかけて寒さがちょうど強まっていたのも相俟って、中々美味しかったところです。
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 また風水稲荷貯金箱なる狐の姿をした貯金箱も並び、水狐さんと対面する一幕もありました。中々微笑ましい和める光景だったと言えるでしょう、ちなみに今日の水狐さんは一眼レフ片手に中々決めた姿で格好良かったです。
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 しかしその寒さ故に装束稲荷の前を通りがかる人の姿も少なかったのはまたもう1つの事実、よって自分が参加する様になってから客足と言う点では最も少なかったゑの木市であったのでしょう。とは言え立ち寄ってくれる方は立ち寄って下さいましたし、中には油揚げ1箱、つまり25枚お買い上げと言う方もおられましたのでこの寒さの中では善戦出来たのではないかと思えます。
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 最も今回、自分が主にしていたのは販売ではありませんでした。前述の様な事情もありましたが何時もお囃子をして下さいます方が1名、今回は来られなかった事から鳴り物、笛と太鼓が空いており狐丸さんと水狐さんが上に登って2人で練習をしていました。
 それをふと合間に眺めていますと稽古をしようじゃないか、と言う流れになり、持ってきた撥を手にして社務所の2階のその場所へと登り太鼓の稽古を残りの時間ずっとしていたのです。
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 太鼓の稽古を始めてそろそろ3ヶ月が見えてくる辺りですが、これまではリズムを覚える等、そちらばかりしていたので太鼓その物を叩いた事が実はありませんでした。よって今回初めて本物の太鼓を叩く事になったのです。
 自主練習では空になったティッシュ箱を見立て叩いていたので、太鼓を叩ける事自体は中々嬉しく、日頃の環境では存分に練習が出来ない事もあって念願叶ったりの絶好の好機でした。
 最もそれは同時に下手な緊張も招き抱いてしまった点はあり、稽古の当初では変な所で腕が止まってリズムを忘れる、あるいは狂わせてしまう等のミスを重ねてしまいましたが、1時間ほど延々としていると解れてくるもので結局、それからゑの木市の終わる直前までの合計2時間ほど、ひたすら時間を忘れて1人練習に打ち込んでおりました。
 矢張り実際に太鼓を叩けると違うもの、まず音が違いますしその感触と言うものもティッシュの空箱には当然敵いません。次に打てるのは何時になるかは分かりませんが、今日の感覚を忘れぬ内に繰り返し練習を重ねて習熟させていきたいものです。

 ゑの木市の片づけをした後はその流れで大晦日の狐の行列の最後の後片付けの手伝いに。ただ見ているだけでは接せられない裏方の模様、また立ち入れない場所に入っての作業もまた個人的な興味を大いに刺激されたものですし、改めてこのゑの木市に関われる様になった縁を嬉しく思えてなりません。
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 そんな具合で終わった、寒風の下の今年最初の装束ゑの木市。来月も・・・と言いたいところですが、実は来月に限りゑの木市は行われません。次のゑの木市は3月第三土曜日となります。
 しかし2月は名前を変えて別の日に装束稲荷の縁日は行われます、よってこれに関してはまた取り上げる事にしましょう。
 それでは皆様、今回もありがとうございました、そしてお疲れ様でした。
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2011年01月05日

装束稲荷に詣でて伏見稲荷へ

 どうも2011年、平成23年も始まり5日目の晩となりましたがいかがお過ごしでしょうか。
 昨年は10月以来、狐好きと言うものをある形、即ちそれは狐神楽となりますが、それと具体化出来た、出来たとまでは言えずとも至るまでの道筋をつけられた年でした。だからこそそれに対する感謝の気持ちを抱きつつ、昨日4日は装束稲荷へと初詣へ行ってきました。
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 初詣自体は地元の氏神さんで、お稲荷さんへのお参りとして見ても2日に地元の少し離れた所にあるお稲荷さんへと詣でてしまったものですから、完全な形での今年初のお参りではありません。とは言え年末の王子の狐の行列には所用もあり参加出来なかった事もありますから、なるだけ早く、と言う点から4日の装束稲荷への初詣となったのでした。
 先月25日以来およそ10日ぶりのお参りとなった装束稲荷は31日の晩の装い、つまり黄色の提灯や看板等もそのままになっていて狐の行列当日の雰囲気を髣髴とさせる、そんな具合のままでありました。
 これにはやや意外な感想を抱けてしまいます。つまり既にこれら、狐の行列当日の装いは片付けられてしまっているだろう、そう考えていたからです。しかし同行した狐耳君のほぼ当日のままになっている、との言葉もあって行列自体は終わってしまい、さらに今は陽光の注ぐ昼間である事を考慮しても、その片鱗に少しでも触れる事の出来たのは幸いなものでしたし、何時かは行列に参加したいものだと思いを噛み締めさせられます。
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 その様な中で装束稲荷へ詣でた後は王子稲荷へ、王子稲荷へ行くのは昨年10月のゑの木市以来の事ですから実に3ヶ月ぶりとなります。4日は平日ですから正面から入る事は出来ないかもしれない、と思っていましたが幸いにして境内にある保育園は休みであったので、表から入って石段を登りお参りをします。境内は新年まだ明けて4日と言う事もあってか、参拝者の姿が程好くあり冬の柔らかい日差しの下での和やかな空気に満ちていました。
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 その後は1日2往復しかない王子駅と亀有駅北口を結ぶ東武バス王30系統に乗り込んで亀有駅へ、そして友人のライシーンさんと合流してからは新御茶ノ水で中央線に乗り換えて吉祥寺へ降り立ちます。
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 吉祥寺までわざわざ来たのは井の頭自然文化園にいるホンドキツネを久々に見に行こう、と言うプチオフの為でした。その井の頭自然文化園のある井の頭公園の中には弁天さんと池を挟んでお稲荷さん、親之井稲荷が地図にも載る事無く存在しています。よって自然文化園の分園で鳥を眺めた後は、親之井稲荷へ立ち寄りお参りとなります。
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 この親之井稲荷さんは普段はそれこそ静かな、まるで忘れ去られているかの様な趣があり、これがまた味なのですが新年だからでしょう、「親之井稲荷大明神」と白く抜かれた赤い幟を幾つも、また違った味わいを木漏れ日と水面から反射する光による独特な明るさの中にはためかせている、普段と少し異なる、しかし相変わらずどこか心おつく静けさをまとっていました。

 そして賑わい、煙の香りの色濃い弁天さんをお参りしてから自然文化園本園でホンドキツネを堪能した後は、吉祥寺駅より電車で新宿へ。
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 もう時刻も17時を回ったあたりで暗さも深まりつつありましたからこのまま夕飯、そう言う流れを浮かべつつ車窓を見下ろしながら雑談していたその時、不意にどこにでもある路地の入口にある意味では場違いな鳥居の姿が目に入りました。
 その姿には自分だけではなく狐耳君やライシーンさんも気がつき、ちょうど駅、西荻窪駅に到着したところで見かけたものですから、では行ってみようとさっと電車を降りて改札の外へ。そして北口へ回り、左手に折れて数分と行くこともない所にその鳥居はありました。
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 電車の中から見た時と同様に、鳥居は路地の入口に唐突に立っている印象で奥には社の姿もありません。むしろ路地はすぐ間も無く西荻窪駅の高架橋で行き止まりになっている具合で、最近高崎の駅前に出来た鳥居をその入口に置いている商店の様でもない、しかし鳥居自体はしっかりと色が塗られた新しい、と言う印象すらあって松が巻かれて街路灯の明かりに映えているのには、異世界の入口でもありそうな雰囲気を纏っていると言えるでしょう。
 その中で神額を見上げるとそこには「伏見稲荷神社」の文字が彫られています。最もその部分は大分古びていましたから鮮やかな朱色の部分は塗り替えられたのかもしれません。よってとにかくお稲荷さんである事が明らかになったので奥へ進むと、先に入っていた狐耳君がそのお稲荷さんの社を見つけていました。
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 社と言ってもそれは小さな祠を少し大きくした、と言う具合で路地が高架橋に当たって尽きる手前、鳥居から見て右手の建物の壁の間にめり込むようにして作られた空間に置かれていました。そこには手作り感のある特徴的な反り方をした高さ2メートルほどの鳥居が注連縄と鈴を伴って立っており、その根元には鉢植えが置かれています。まるでどこかの庭先の一角、そんな雰囲気すらありますがそこはお稲荷さんでした。
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 しっかりとその地域の人々から管理されている様で、壁には改修に際しての奉納者の一覧をしたためた紙が貼られていましたし、賽銭箱も金属製のしっかりとした物が置かれていました。このお稲荷さんについては全く知らなかっただけに、ふと数年前に親之井稲荷さんを見付けた時、つまり地図に載っていないお稲荷さんを見つけた時に感じるあの嬉しさを抱きつつ、残照が残る中のお参りとなります。

 ちなみにこのお稲荷さんのある路地は入口からは分からないのですが、お稲荷さんの前まで行くとただ行き止まりなのではなく、西荻窪駅の中にある西友の入口の1つへ繋がっている路地でした。よって意外と人の行き来があったものです、そして自分達もお参りした後は西友の店内を経由して駅へと戻ったのでした。

 この様な具合で、また新たなお稲荷さんと始まった今年の稲荷巡り。狐神楽と共に色々と深めていけたらと思えてならないものでした、そして本年も末尾となりましたがよろしくお願い致します。
 写真は全て2011年1月4日撮影となります。
posted by 冬風 狐 at 21:54| Comment(2) | TrackBack(0) | お稲荷さん探訪録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月27日

山王稲荷神社・蒸気機関車と大井川の傍らに

【探訪日時】2010年12月26日
【場所】静岡県榛原郡川根本町田野口
【交通】大井川鉄道田野口駅より徒歩2分

 普通電車であちらこちらを歩いていると唐突にお稲荷さんを見かける事は良くある。その一例が東海道線西岐阜〜大垣間だろう、この区間では4つほどのお稲荷さんを通りがかる度に車窓に見ているものだが、生憎今だに立ち寄れた事がなく、見かける度にある意味では一種の一里塚として意識させられ、そして何時かはお参りに行こうと思い続けている存在である。
 その様な中で昨日、昨夏に見かけて以来、何時かはお参りに行きたいと考えていたお稲荷さんに行く事が出来たのでそれを取り上げる事にしましょう。

 大井川鉄道に初めて乗りに行ったのは昨夏の事だった。それ以前から蒸気機関車が走り、また井川線区間にはアプト式区間がある等と色々と興味深い存在ではあったが、その運賃の高さと所要時間の長さに中々機会を見つけられずにいた折、ネットで知り合った友人583さんと共に関西旅行に行く途中にて立ち寄ったものだった。
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(↑アプトいちしろ駅にて連結作業中のアプト式電気機関車、2010.12.26撮影)
 大井川鉄道自体がそれはもう思っていた以上に楽しくて仕方なく、またの再訪を誓ったのは最早必然であった。しかし興味の範囲はただ鉄道に限られるのではない、そうその沿線に地図では見つけられなかったお稲荷さんを確認したと言うのもそう誓った背景の要因として大きくあったのであって、その際に確認出来たのは以下の2つである。
 まずは千頭駅近くの「豊川稲荷千頭別院」である、これは千頭駅に到着した折に当地の地図を見て知ったものだった。そしてもう1つが今回取り上げる「山王稲荷神社」、こちらは金谷から千頭へ向かうSL急行に乗車していた際に眺めていた車窓の中に見出したもので、思わず小さな声を漏らしてしまったものだった。
 生憎SL急行はその山王稲荷神社の最寄り駅である田野口駅には停車しない。何よりその時は大井川鉄道を全線乗りとおした上で、井川駅の先にある井川湖にある渡し舟に乗る、と言う目的での大井川鉄道であったからまたの機会に、と先送りをする、ただしその場所だけは記録して再訪に備える、と言う事しか出来なかった。

 しかしまたの機会は中々訪れず、次なる夏は色々と多忙であり出かけたとは言えども大井川鉄道を行程に組み込むことは難しい地域であった。よって次に行けるのは果たして、と思っていた矢先に狐塚君より10月頃に大井川鉄道に行きたい、と言う話が持ち込まれた故に夏ではなく冬となるが大井川鉄道への再訪の機会を得られた次第である。
 当初の計画ではこのお稲荷さんに行けるかはかなり微妙なところであった。それは今回も大井川鉄道を全線乗る、更に井川線内の幾つかの駅に降りる、と言うのを前提に組んだ結果、大井川本線は単純往復するしかない、と言う形になってしまった為で今回も車窓からその姿を眺めるに留まるのは避けられない。
 だがいざ当日が近くなるとこれもまた縁と言うものなのだろうか、色々と面白い変化があった。

 まずは21日から25日まで実質、不眠不休に近い状態で東京〜大阪間を2往復する事になったのである。それも後の1往復は風邪を引いた状態でした事から、25日の晩に島田駅近くのホテルに投宿した際、疲労はピークに達しており21時頃に眠りに就いたにも関わらず、目を覚ましたのは翌日の6時と9時間余り予定よりも長く寝てしまった。
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(↑宿泊したホテルからの夜明け)
 更に起床後は来年年明けに狐塚君と共に行く予定の欧州旅行、この中でも英国滞在中の予定が定まっていなかったので、その辺りを目覚ましも兼ねて話し合い、その場でロンドンからグラスゴーまでの往復チケットをネットで購入する等していたら、当初予定していた時間の出発が不可能になったのである。最もまだこの時点では朝食を食べてからでも、乗る予定の列車こそ遅れるものの、井川までを単純に往復する事は可能であった。
 そんなかんだで大井川鉄道金谷駅に到着し、乗り込んだのは金谷9時16分発千頭10時29分着の普通電車。そして田野口駅手前の山王稲荷神社に車内から一礼してから、千頭駅に到着して井川線、ただし奥泉駅までの代行バスの車内での放送である事実を知る事になる。
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(↑千頭駅前の井川線代行バス、2010.12.26撮影)
「尾盛駅は熊が出没した為、現在お客様のご利用は出来なくなっています」
 実のところ、もう金谷駅で乗り込む時点で井川駅までの往復は今回は出遅れの影響もあって意味がない。ただ20分だけ折り返し時間を過ごす為だけに行くのなら、その手前の「秘境駅」として有名な尾盛駅の何もなさを味わった方が面白そうだ、と言う話になっていたのである。
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(↑奥大井湖上駅における尾盛駅熊出没告知ポスター、2010.12.26撮影)
 よって尾盛駅へ行く事が井川線に乗る目的と変わっていたのだが、それすらも果たせないとなるならどうしたものか、と考えた結果、急遽奥大井湖上駅に降りる事にした。これは奥大井湖上駅は井川線名物であるアプト区間が出来る背景となった長島ダム建設に伴う廃線の一部を、一定の距離一望出来る駅である事を把握していた為で、それを駅の上から眺める事を目的にしたのだった。

 だがこれだけであれば当初の予定から最終的には変わらない事になる。つまり(井川12時46時発→尾盛13時14分発→)奥大井湖上13時29分発の井川線に乗り、千頭から14時58分発のSL急行で金谷へ戻る、と言うものであり山王稲荷神社へはどっちみち行けない。
 しかしキーとなるのが尾盛駅ではなく奥大井湖上駅で折り返す事だろう。うっかり失念していたのだが実はこの奥大井湖上駅13時29分発の前には1本上り列車があり、それが奥大井湖上駅から1駅北にある接阻峡温泉駅で乗ってきた井川行下り列車と行き違うのである。
 よってそうとは知らずに奥大井湖上駅で下車した後で、掲示されている時刻表を見て12時発の上り列車の存在を知った時、それはある種の驚きに包まれたとしか言う事は出来ない。だからこそ改めて時刻表を確認して、12時の列車に乗って千頭駅へ戻った足で田野口駅へ向かい、山王稲荷神社に足を運んだ後で隣の下郷駅へ移動し、そこからSL急行に乗れる、そうと判明した時は何とも不思議な嬉しさを感じられてならなかった。
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(↑奥大井湖上駅より見る現在線と廃止された旧線、2010.12.26撮影)

 そして奥大井湖上駅12時発の上り列車に乗り込み、再び奥泉駅から代行バスで千頭駅へ戻って昼飯を食べてから、今度は大井川本線の列車に乗り込んで田野口駅に到着したのは14時6分と少し日差しも落ち着いた頃合だった。
 揺られてきた近鉄車両の普通電車から下車したのは、自分達2人のみで駅舎や駅構内の観察をしてから、早速駅より200メートル余り金谷寄りにある山王稲荷神社へと向かう。
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(↑上は田野口駅を発車する近鉄車両、下は田野口駅より山王稲荷神社へ続く道、2010.12.26撮影)
 山王稲荷神社には鳥居はない、立地はと言えば目の前の道路を挟んで大井川鉄道の線路、そして線路の向こうは木の生えた傾斜地の下には天竜川、と言わば3つの流れに接している。
 拝殿と本殿は分離しており、いずれも朱塗り等はなく茶色と白の2色に彩られていると言える。どこかそれはお堂の様な雰囲気であるが、だからこそだろうか、ふと目にすると足を向けざるを得ない存在感がその雰囲気の正体であると思える。
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(↑山王稲荷神社全景、2010.12.26撮影)
 神額は横に大きく茶色の額の中に黒く「山王稲荷神社」と太く筆で描かれている。賽銭箱や鈴を始めとした設備もしっかりと手入れがされており、古びているとかそう言う気配はない。とにかく地域の人々によって変わらず大事にされているその気配が、新年を迎える装いも相俟って随所に漂っていた。
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 由来も正面から見て左手の斜面際に設置されており、それによれば山王神社のお稲荷さんを合祀した神社であるとの事である。解説の大半は山王さんについて割かれている事を考えると、元々は別の存在であった山王さんとお稲荷さんが何らかの理由によって合祀された、と言う書き出しには強い説得力がある。
 しかし何時からこの地にあるのか、また合祀時期に付いては特に明記されてなく、ただ古来から、とのみ書かれていた。由緒自体は平成4年1月に建てられたとある事から、比較的最近であるのも興味を惹かれるところだろう。
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 静かな山間にたたずむ良い気配に包まれたお稲荷さん、その一言に尽き、なおかつまたここに足を運びたいと思えてならないお稲荷さんと言える。
 なお千頭駅付近には先に取り上げた豊川稲荷の他に稲荷神社、また家山駅近く、そして島田市街にもお稲荷さんを確認しているので、機会を改めてまた訪れたいところです。
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 なお写真は全て2010年12月26日撮影。
posted by 冬風 狐 at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | お稲荷さん探訪録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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