2016年02月17日

伏見のお稲荷さんは疲れているのか?昼間の喧騒と夜の参拝、そして神隠しについて

 どうも先の広島・山口旅行は中々に良いものではありまたが以来、体調がすぐれないのが続く狐です。
 今日に至っては声が出なくなり、仕事上がりに医者にかかれば声帯が炎症起こして腫れているが故の事との診断。今は処方された薬が効いたのもあってか大分楽ではありますが、養生せねばと改めて感じてしまったものでした。
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(2016年2月4日加太港にて、2016年2月5日津和野駅前にて撮影)

 さて、このブログの更新も久々なものですが、今回取り上げるのは題名の通り「お稲荷さんは疲れているのか?」と言うもの。
 以前にも自らのツイッターでも触れた事がありますが、お稲荷さん、特にその大本でもある京都は稲荷山の伏見稲荷大社の神さんはお疲れではないのか、また夜にお参りするのは云々、との事でTLが盛り上がっていたので、ふとその事について3つほどに章を分けて触れてみようかと思います。

・昼間の喧騒について

 伏見稲荷となりますと、旅行系サイトの最大手とも言える「トリップアドバイザー」の行った調査の結果、外国人に人気の日本の観光スポット第1位に2014年、2015年と2年連続で選ばれる、との快挙を得た次第でありますが、どうもこの辺りからお参りがしづらくなってきた、との印象は抱いております。
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(2015年7月28日伏見稲荷にて撮影)
 と言いますのも、境内に置いて典型的な観光客が増えてしまい、いわゆる神社らしい静けさとかけ離れつつある、と感じるのが大きいものでしょうか。思えば、初めて伏見稲荷に詣でたのはもう一昔よりも前となりますが、あの頃から京都の主要観光地のひとつ、との地位はあったもののどちらかと言えば、京都市中から外れた土地柄故に、祇園や八坂神社界隈の喧噪とは対照的な伏見らしい静けさの中、のんびりと過ごせてお参りできる、そうした場所であったと感じます。
 ただ2013年あたりからでしょうか、色々と忙しく、少しばかりお参りに行けなかった時期があり、久々に詣でてみれば何やら参拝者の数が増していると感じられたのは。
 振り返ってみるとちょうどその2013年に、先にも触れたトリップアドバイザーの調査にて第2位に、伏見稲荷が上がっていたとの事なので、今となるとあの頃から、とうなずけるもの。
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(上記2枚2013年10月2日伏見稲荷にて撮影)
 最も、当時はお稲荷さん鎮座1300周年直後の事かと、そこまで気に留めていませんでしたし、その観点から見ると節目の年前後に参拝者の数が増えるのはある意味では喜ばしい事である、とすら抱いていたものでした。

 ところが、翌年以降も時折時間を見つけてはお参りに行く度に、段々と首を傾げる頻度が上がってきました。特に昨年2015年に至りますと、参拝客ではない単なる観光客、と評した方が相応しいのではないか、と思える方々が明らかに圧倒的になったと感じます。
 それは一言で言えば、静かにお参りをとても昼間には出来る雰囲気ではない、と出来るでしょう。殊に伏見稲荷の楼門をくぐってすぐの拝殿に至っては時機が悪いと、初詣や大祭の時期よりも統制の取れていない、正に人で埋まっている中に入らねばなりません、まずそこで一苦労。
 そして何とか場所を確保して、手を合わせてお参りをしていても後ろやら脇から押されたり、果ては「早くしろよ、詰まってるんだから」と舌打ち含みの言葉を浴びせられる始末であり、どこぞのテーマパークの人気アトラクションの前か、あるいはそれよりも酷い混乱した場所特有の惨状を呈していると言えるでしょう。
 ただその拝殿前の混乱よりも酷い、と思えるのが伏見稲荷をより伏見稲荷として多くの人の印象に刻みつけているであろう、命婦社より奥社奉行所に至る千本鳥居の一帯だと感じます。
 元々、あの場所はあの鳥居の中を行くとのシチュエーションからJR東海だとかが誘客ポスターに用いたり、それ以外でもお参りに来た観光客が記念に一枚写真に収めるスポットであり、お稲荷さんらしく、また京都、あるいは日本らしさを特に感じさせてくれる、その性質は今なお変わらないところでしょう。
 私としては神社で写真を撮る、との行為は特段咎められるものであるとは思っていません。最も、例えば伏見稲荷も拝殿にここ数年の内に掲げる様になりましたが、儀式中の写真撮影だとかは許可を得たものでない限り、それは避けられるべきであると感じますし、以前より神楽殿での舞を写真に収める事を伏見稲荷は禁じておりますから、そうしたマナーやルールに則った上での、との但し書きがあった上での行為であると感じております。
 
 しかし、昨今の千本鳥居での状況は最早、何等かの統制がされないとどうにもならない無秩序な状況を呈していると感じます。特に問題であると感じるのは、そう広くはない鳥居の中の通路に大きく広がって、また流れを無理やり遮って写真を取る姿が常にみられる事です。
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(上記2枚2015年7月28日伏見稲荷にて撮影)
 眺めていますと多くはセルカ棒を手にしている外国人旅行者でありますが、後者については一眼レフを手にした写真マニアと思しき日本人も少なくなく、そちらは前者以上に問題であると感じられます。
 何故ならば、日本人であるにもかかわらず伏見稲荷との空間が本来は信仰の場所である、と理解していないのではないか、と危惧されるからです。
 確かに、伏見稲荷ないしお稲荷さんは被写体としては日本人からしても格好の場所であるでしょう。伏見稲荷に限らず、各地の稲荷社の纏える特有の雰囲気は控える狛狐、靡く朱い幟、そして連なる朱い鳥居にお社、とは神社の始まりとも言える磐座や滝と言った自然信仰そのままの姿や色とは対照的なものから成ります。
 故にその朱さはその稲荷神の神威の人への近さを感じさせるところであり、人に近しいとされる日本の神々の中でもより、人に近いに座せられる稲荷信仰の特徴なのです。
 故に稲荷信仰の場に人が集うのは、平安時代には伏見稲荷が格好の京の一大ナンパスポット、として有名であったとの話からある様に当然の事であり、先にも書いた通り、それは喜ばしい事であろうと感じる限り。今でも東京は新宿の花園稲荷なぞは夜でも参拝客が絶えないのを見れば、人との結びつきとの点が神道の中でも、特に稲荷信仰は不可欠であると感じられるばかりです。
 
 話がやや脱線してしまいましたが、とにかくそうした信仰の場所であると意識させ、また安全も同時に確保するとの取り組みが今の伏見稲荷には余り見受けられない、との印象があるとしたく思います。勿論、何等かの取り組みは当然されているのでしょうし、実際に千本鳥居が二手に分かれる区間における通行規制はその一例でしょう。
 しかしそれ以前のそうした「信仰の場」たる境内の雰囲気作り、そしてその環境維持との点に関して言えば、単なる懐古論でしかないのかもしれませんが、一昔前の光景と知る身としてはむしろ失敗している様にしか見れません。
 少なくとも、今の無秩序な状態の拝殿前、また千本鳥居に関しては良く目立ったトラブルもなく、と思えてしまいます。特に後者についてはあれだけ狭い参道で急に立ち止まったりする事は危険以外の何物でもありませんし、万一何かあった場合、入り口脇にある守衛の詰所ひとつだけでは何とも心もとないのではないかと感じられます。
 部外者に過ぎない、たまにしかお参りの出来ない私の言う事ですから、色々と知っている方からしたら、とても、な内容ではあるでしょう。しかし稲荷信仰の大本の主たる場所にて何等かの悲しい出来事が起きるのは残念以外の何物でもありませんし、それは避けられなければならないと感じるだけに、触れた次第。
 そして次に触れる内容でもありますが昼間に以前の通り、静かに落ち着いて参拝出来る様になってほしい、と思えるからでしかありません。
 
・夜の参拝について

 そしてこれは伏見稲荷に限らず、夜の神社へのお参り、との事で度々聞かれたり、また話題に上がるものですが、原則論から言うと夜の神社へのお参りは余りよろしくはない、と感じます。
 これは単純に考えて神社とは神さん方の住まいと看做せるからであり、人間同士であっても、夜に誰かの家にうかがうとの事はまず避けられ、する際には何らかの事情がある場合であるのが専ら、との点からも導き出せるものです。
 要は夜は夜として神さん方も大抵は休まれる時間であり、また神社は聖域あるいは境界故に夜はその性質が反転する、との見方もあるから、と出来ましょう。特に前者については人間も休もうとしている時にいきなり誰かが来たら、それが幾ら親しい相手でも大抵の場合、一瞬はえっ?と浮かべるものでありましょうし、我が身の事としてとらえればある程度納得がいくのではないかと感じられます。
 しかし、前述した通り、東京の花園稲荷の様に夜でも参拝者のいる神社はありますし、今回の記事の主題でもある伏見稲荷にしても夜に境内に立ち入る事は出来、実際にお参りをされている方も見受けられます。ここでただの人間の家と違うのが、神社は神さん方の居られて休まれる場所であり、かつ信仰を寄せられる場所との点でしょう。
 だから私は避けられるべきではあるが、そうした機会に恵まれた、導かれた、またそれしか可能でない時は静かにであればお参りは出来る、との但し書きの形で考えております。
 故に私自身もたまに夜の街を歩いていて、ふっと知らない神社に行きついた時等は、静かに手を合わせて一礼等をしております。また、先の12月に昼の喧噪を避けるべく、夜に伏見稲荷へとお参りをした際には、鈴は鳴らさずに拍手も静かに、またこの様な時に申し訳ありませんが、との気持ちでさせて頂いた次第です。
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(2015年12月25日伏見稲荷にて撮影)
 避けられるべきはただ単に物見遊山として立ち入り、かつそこで騒ぐと言ったものでしょうか。また論外ですが、神社側が夜に立ち入れを禁ずとしている場合に立ち入る、それはもう神社に限定されない、そもそもの言語道断な話でありましょう。
 先の伏見稲荷への夜のお参りの際も、そうした物見遊山的な観光客と思しき姿は多々見受けられましたし、夏で言うならば肝試しに近いようなノリで来る姿はとても感心が出来ません。
 殊にお稲荷さんに対してはその歴史の中で密教、また各地の妖狐譚、土着信仰との関わりの中から生まれた「妖しさ」がひとつの魅力となっているのはあり、どうしてもその印象を主として抱いていらっしゃる方がそれなりにいるのは避けられません。そしてそれは別に問題であるとは感じません。
 しかし、それはあくまでも一面。神社としてのお稲荷さん、ないし伏見稲荷は基本的には信仰の場である、との見方をしてもらいたいと思える限りであり、これは前章に置いて触れました昼間の喧騒の問題にも通じるものでしょう。
 とにかくどうであれ、本来的には神社は神さん方の居られる信仰の場であり、過度に騒いだりすることは好ましくない、と常識的なマナーを持ち合わせて欲しいのです。

・異世界に誘われる事はあるのか

 色々と「昼間の喧騒について」「夜の参拝について」と触れて参りましたが、いよいよい取り上げるのは異世界への誘い、いわゆる「神隠し」はあり得るのか、との話です。
 これについては諸見解ありますが、物理的な、肉体も関わっての意味での神隠しとは少なくともあり得ない話であると感じます。しかし、そうではない精神的な、あるいは感覚的な「神隠し」は有り得るのではないかとしたく思います。
 伏見稲荷については先にも触れた「妖しさ」から足を運ぶ人が一定数いるのは事実であり、つい先日も
「【検証】伏見稲荷大社に「階段登るほど狐が大きくなる薄暗い社」がある?意見分かれオカルトホラー状態 - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2145528932604332901 」
 とのまとめ記事がTLを賑わしておりましたが、私としてもこうした場所は物理的には伏見稲荷に存在しないのではないかと感じます。

 信仰、即ち願いとは多分に思考的・感覚的な代物であり、目には見えないものである事、そして稲荷信仰とは多分に現世利益の追求がその大なるところであるのを踏まえれば、人の思考や感覚にダイレクトにつながるものでありますので、目には見えない形ではある、それも無数に、と感じるところです。
 そもそも神社とは聖域であり、境界、鳥居はその象徴の際たるものである、とするならばその鳥居が特に無数にある伏見稲荷は、その数にも増した多元的な世界の交錯する場所、と看做せます。
 即ち、鳥居とはその数多の感覚的な世界への入り口とすれば、お参りをしている内に物理的な肉体は伏見稲荷との場所にあっても、意識ないし感覚がそうした世界の中に迷い込む、あるいは誘われる事は大いにあり得るものでしょう。そして逆にあちらから来る存在も有り得る双方向的な存在でしょう。
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(2015年12月25日伏見稲荷にて撮影)
 だから物理的な肉体はそこにあり、容姿も変わらずとも、その中身は、との具合になりましょうか。人の認識だとか記憶、また行動は神経細胞の電気信号によって成されている、とされる昨今であり、それは当然の事でしょうが、それを制御している何等かの存在があるのであれば、それこそが「神隠し」にあい、時として入れ替わってしまう貴重な部位であるのかもしれません。
 故に先のまとめ記事に登場する様な話は、それを見て帰ってきた話の一種なのかもしれません。

 以上、取りとめのない記事でありましたが、自らの考えをまとめつつ、また今後とも時として話題に上がるであろう内容ですので粗くまとめてみました。そして結論とするならば、現状の伏見稲荷のお稲荷さんは疲れている一面もある一方で、これまでにない各国・各地域から流れ込んでくる外国人旅行者を物珍しく見ているのかもしれません。
 稲荷信仰の場に人が集う、それ自体は良い事なのです。
 故にしっかりとして気持ちを持ってのお参り、またただ見るだけであればその場の空気、お参りしている人の邪魔をしないマナー、そしてその場の環境を良好に保つ管理側の「見える」取り組み、それ等のサイクルの欠如、あるいはそうと見えてしまう事が人に「お稲荷さんは疲れているのでは?」と感じさせる最大の要因ではないのかと感じるばかりでした。
posted by 冬風 狐 at 02:37| Comment(0) | TrackBack(0) | お稲荷さん探訪録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月22日

東海道線を見守る来宮神社とお稲荷さん

【探訪日時】2011年11月5日
【場所】静岡県熱海市
【施設名・交通手段】
・来宮神社、来宮稲荷神社(境内社)
 伊東線来宮駅より徒歩5分、伊豆箱根バス来の宮神社前バス停スグ

 東海道線は新幹線に多くの機能が移ったとは言え、今尚、特に貨物輸送の点では日本の東西を結ぶ最重要幹線であるのに変わりはありません。
 その東海道線も国鉄時代であれば一体での運営がされていたものですが、今ではJR東日本・東海・西日本の3社に分割されており、近年では各社ごとに車両の置き換えが進んだ事から、見る場所によってその姿は全く違うものになっています。
 それを感じる事が出来るのが熱海駅と米原駅でしょう。前者はJR東日本と東海、後者は東海と西日本の境界駅であり、そこを境に旅客列車の車両は全く変わるもの。最近では跨いで直通する列車は数少なくなった事もあって、大抵の場合、乗換えを強いられるある種の関所化しているとも言えます。
 下の写真はその一場面(2011年12月16日撮影)で、東京発の下り電車(JR東日本15両編成)から浜松行の熱海始発下り電車(JR東海3両編成)へと乗り換える人でごった返すホームの様子になります。
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 その前者に当たる熱海駅は、これは熱海と言う土地自体が良く「神奈川県である」と勘違いされる事が多いものです。実際には静岡県であり、中部地方、あるいは東海地方に属するものの東京駅、即ち首都圏にして関東の中心たる駅から出る東海道線電車の多くが「熱海行」であるので、どうしても感覚的に神奈川県ないし、関東の一角と捉えがちなのかもしれません。

 東海道線は熱海駅を出ると丹那トンネルを通り、次に停車するのは完全に「静岡県」と認知されている函南駅となります。しかし米原駅にはない特徴が熱海駅の先にもJR東日本の路線が続いている事でしょう、そしてそれはJR東海となった東海道線と併走する形でしばらく続く、そうJR伊東線の存在がこの界隈の鉄道路線の特徴となっています。
 よって丹那トンネルに東海道線が入る手前には駅が1つ、それは伊東線来宮駅。東海道線と完全に並行していますが、東海道線にはホームが無いので伊東線の駅として伊東線の列車のみが止まる格好になっています。
 この来宮駅があるのは丹那トンネルと別のトンネルの間の狭い谷筋。故に通過していく東海道線からすると一瞬でしかなく、逆に丹那トンネルの長い闇から出た事に安堵する、そんな場所でもあります。なのでついつい注目が東海道線から見て伊東線側、つまり海側に寄ってしまいがちなのですが、実はその反対側に控えているものがあります。
 それが今回取り上げる来宮神社、この神社自体の歴史は古く、その由緒をたどると坂上田村麻呂の名前が出て来るほどであり、名実ともに古社であると言えるでしょう。
 なお詳細については神社の公式サイト( http://www.kinomiya.or.jp/index.html )が詳しく取り上げていますので、この記事では軽く触れつつ、探訪した時の事を中心に書いていきたいと思います。

 来宮神社に立ち寄ろう、と思ったのは帰省していた山梨から帰る際、9月の台風によって一部不通となっている身延線とその代行バスの様子を観察しがてら、更に三島駅にある東レ工場への廃専用線を見、そして時間が比較的あった事もあり、熱海界隈でふと途中下車をしてみようと思い立った為でした。
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 当初は丹那トンネル建設に当たって犠牲となった方を記念している碑や関連する神社へ行く事を考えていました。
 しかしそれにあたって地図で来宮駅付近を見ると、来宮神社と共にその境内にお稲荷さんの文字。こうなれば是非とも、との事で当初の計画では熱海駅から徒歩で、熱海駅から来宮駅の間にあるお稲荷さんに立ち寄ってから来宮神社へ行き、そして前述した丹那トンネル関連の神社を目的地として、来宮駅より電車に乗る、と言うものであった事を書いてかねばなりません。
 とは言え実際には三島駅北側の東レの廃専用線と近くにあったJR東海の研修施設の様子が気になり、予定していた熱海行よりも1本遅い電車になってしまったので、予定を変更し熱海駅より伊豆急下田行の伊東線に乗り込み、来宮駅に到着したのは13時34分の事でした。
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 時間的に余り余裕は無かったので、改札で乗越精算をした後は駅舎から見て左手へと進みます。歩道はあるのだが狭く曲がりくねった道、勾配もあるので何とも伊豆半島の道であると思いつつ進むと、坂になってからと言うものずっと高くなって続いていた左手の東海道線と伊東線の載っている擁壁にぽっかりと穴が、トンネルが姿を現します。
 今であれば四角い、如何にもコンクリートなボックスカルバートとなるのでしょうが、出現したのは石と煉瓦によって作られた2つのトンネル。高さ制限も兼ねてポータルの一部は変色し、一部は剥がれているも塗料が塗られている以外はこげ茶の石の色そのままで、そこには風雪に長年晒されてきたからこその色合いがうかがえます。
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 このトンネルの名前は来宮ガード、掲げられているJR東日本の設置した看板には「東海道本線(170)」とあり、起点から数えて170番目のガードである事が見れます。内部には一応歩道が設置されていますが、車道自体がトンネルの幅目一杯ありますから、ガードレールによるロスも考えれば人一人歩くので精一杯な程度しかありません。
 なおトンネルを抜けると今度は国鉄時代に設置されたと思しき看板があり、そちらには「来宮暗きよ」とあり、起点からの距離「105K633M58」と記されている他、隣には塗装される形で「観光地美化のため貼り紙を禁じます 熱海市観光課」の表記があり、青地であるのを踏まえるとかつて良く見られた青地の琺瑯看板を模していたのかもしれません。
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 何れにしてもかなりの年代物で、逆に言えば今では新規には見れない代物の1つでしょう。
 ちなみに抜けた所では擁壁と路面の高さはかなり縮まっています、これはガード内がそれなりの勾配になっている為ですが、それはガードを抜けても続いており、抜けた地点ではそのまま点滅信号型の交差点となっている等、不慣れなドライバー泣かせの場所なのかもしれません。またその上を擁壁の倍以上の高さで東海道新幹線の高架線が横切っており、そちらには「来宮BV 96K477M」の文字があります。

 この交差点は、クルマが入れるのは4方向しかないのですが、実際には五叉路。何故ならガードに面する形で鳥居、即ち来宮神社の参道とつながっており、そこにはクルマが入れない為です。
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 交通量は地味にあるので、良く見てから渡ると道路との間に川を挟む形であるのが、今回の目的地である来宮神社。なお渡ったところにはバス停「来の宮神社前」があり、その上には交差点標識もありますが、そこには鳥居のマークも記されている等、この交差点が来宮神社と一体の存在であるのを示しているとも出来るでしょう。
 ちなみにこの交差点を通る県道20号線は箱根峠に至ります、よってここを通過するバスは箱根方面とを行き来するバスですので、意外と長距離路線である、との特徴もあります。本数も昼間であれば毎時3本はありますから、比較的サービスレベルは高いでしょう。バス停の脇には来宮神社の案内の写真看板もあります。
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 そんな観察をしてから境内へ、橋を渡り、赤く塗られた鳥居を一礼してからくぐると中は相変わらず勾配が続いていますが、木々に囲まれてふとした暗さの中に明るさがある、神社らしい開放感のある空間になります。
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 そしてお稲荷さんは入ってすぐ、左手にある手水場の脇にその入口を持ちます。入り口は木と手水場に挟まれる形ですが、石に彫られた文字が赤塗りされての「来宮総社稲荷神社」の文字は何とも目立つものです。
 鳥居の数は人の背丈より少し大きい程度のものが3つほど続く具合、そして現れた社は本殿と拝殿が一体化している具合で、その両脇に狛狐がきれいな姿で控えています。形としては向かって右の狛狐が鍵を口にして子供を足元に置き、左の狛狐が巻物を口にして宝珠を足元に置く具合で、稲荷の象徴たる三品が揃っています。
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 社は赤塗りで手入れが行き届いており、何とも見ていて清々しい気持ちになるものでした。幾らか千羽鶴が掲げられていたりもしていたものです。また内部には大太鼓が置かれていました。なお境内には表記はありませんでしたが、公式サイトの記述によれば「来宮稲荷神社」と言うのが正式な名前との事です。

 お稲荷さんへのお参りをしてから再び来宮神社の参道へ戻って、そのまま横切れば、そこには三峰神社が。お稲荷さんよりもずっとこじんまりとしていて、銅製の鳥居をくぐる手前には小さな側溝があるのですが、そこには橋代わりに木の板が1枚かけられているだけ。そして鳥居の先にあるのも社と言うよりも祠ではありますが、狛狐ならぬ狛狼が控えていましたし、手入れも当然行き届いております。
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 なおこちらのお賽銭箱は白塗りの金属箱で、祠の前ではなく脇に置かれている具合でした。

 そして来宮神社、そのものへのお参りとなります。坂と階段を上りきった先にある拝殿は大きな構えで、また境内に社務所の他に飲食の出来る場所があるのも面白いものです。夏の暑い時期などはお参りした足で、一休みと言うのも乙かもしれません。
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 なおこの拝殿の右脇には弁財天さんが祭られていますか、左脇へと進むと現れるのが御神木でもある「大楠」。国の天然記念物にも指定され、樹齢は2000余年とされているその大楠は必見でしょう。一体全てを包み込む様な包容力、そんな気配を感じてしまいましたし、周囲が整備されているのでぐるりと一周してしまえたものでした。
 また大楠の裏側には川があり、これは先ほど交差点の行で取り上げた鳥居の前の川につながるもの。その流れは勾配があるのもあって中々速く、川自体はある程度の整備はされているものの、整備されてから長いのかかなり古びて、石の様にもなっているものですから、まるで天然の沢にいる様な感覚すら抱けます。
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 そんな具合で短時間ではありましたが堪能して、来宮神社を後にしたのでした。なお境内には忠魂碑もあり、そこには砲弾も置かれています。
 そしてちょうどやって来た箱根からのバスに乗り込み、熱海駅へと戻ったのでした。今回行きそびれた別のお稲荷さんと丹那トンネルに関わる神社に関してはまたの機会に、来宮神社への再訪と合わせて訪ねたいものです。
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 なお熱海駅に着いたらダイヤが乱れており、当初は乗れないと踏んでいた列車に乗れた上に、そのまま小田原で湘南新宿ラインの高崎行に乗り継げたのは幸いな事でした。

 写真は特記あるもの以外は全て2011年11月5日撮影。
posted by 冬風 狐 at 03:06| Comment(0) | TrackBack(0) | お稲荷さん探訪録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

久々の更新は「ひめたま」の門田稲荷神社探訪から

【探訪日時】2011年11月13日
【場所】栃木県足利市
【施設名・交通手段】
・門田稲荷神社
 東武伊勢崎線野州山辺駅より徒歩5分

 どうも久々の更新となります、この所は何かと忙しかったので更新もままなりませんでしたが。ようやく時間が出来ましたのでつい先日の日曜日に足を運びました、栃木県は足利市にあります門田稲荷神社を取り上げる事と致しましょう。
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 門田稲荷神社の存在を私が初めて知ったのは2010年8月のある日の事、その日は友人と共に普通電車を乗り継いで仙台にて1泊しつつ、北海道を目指す、そんなのんびり旅行の序盤の事でした。
 東京を出たのは朝早かったものでしたから、宇都宮駅にて乗り継ぎの際に軽く軽食を購入。その際に栃木県の地方紙である下野新聞を合わせて購入して読んでいますと、ある記事に目が行きました。
 それは足利市にある神社をモデルとした萌キャラ―これが「ひめたま」であったのですが―による町おこしと言うもの。それだけでも中々興味深いものでしたが、一方の神社がお稲荷さん、即ち今回ご紹介する門田稲荷神社であったからこそ、稲荷巡りをしている私としては俄然興味を抱かざるを得なかった訳です。
 
 とは言え実際に足を運んだのは今年の9月になってから。群馬から栃木は隣県なので行くのはそう難しくはありません。だからこそ逆に機会を見つけるのが難しく、結局、今年になってからTwitterを介して知り合った狐好きのてぁ君、そして毎度お馴染みの狐塚君の3人で行ったのが今年の9月始めの事でした。
 しかしこの時は先に佐野市内のお稲荷さんを巡ってから訪れた事情もあって、門田稲荷神社に到着したのは17時手前の頃。ですから門田稲荷神社がある八幡宮の社務所は既に閉まっており、来たからには手に入れたく思った「ひめたま絵馬」を手に入れる事が叶わなかったので再度、今回はてぁ君と2人で足を運んだという次第なのでした。
 以上の事から今回取り上げるのは11月13日の二度目の探訪となります。9月4日の初めての探訪に関しては、佐野市内のお稲荷さん巡りを取り上げた際に改めて触れたいと思います。

 高崎から両毛線、伊勢崎駅から伊勢崎線を経て最寄り駅である野州山辺駅に到着したのは12時半頃の事。
 前回訪れた時に野州山辺駅は無人駅である事が知れていたので、高崎駅の券売機にて購入した高崎から伊勢崎接続太田駅までの連絡乗車券を太田からの列車内にて、車内精算までしたものの、いざ降りてみると今回は窓口に駅員がいる、と言う展開に思わず苦笑しつつ、到着した門田稲荷神社にはある変化が生じていました。
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 それは門田稲荷神社の脇に掲げられている「ひめたま」ポスターが新しくなっていた事。9月に訪れた際にはかなり色褪せていたのを見て残念に思えたものでしたから、これは嬉しい、と2人してカメラを向けてしまったのは言うまでもありません。
 下の写真の内、右が9月4日に、左が11月13日の同じポスター。ちなみに私は稲荷好き、と言うのもあってか門田稲荷を萌キャラとした「かどた☆みたま」の方がやや好みではありますし、可能ならこの衣装をオーダーしてコスしてみたい、等とすら昨今では思えてしまえている始末です。
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 今回は昼間の参拝との事もあり、前回の様な夕暮れ時の暗さはありません。しかし下野国八幡宮一ノ宮の境内だからか、はたまた「縁切稲荷」として名の知られているからか、その理由はわかりませんが独特の落ち着いた空気は相変わらず健在なものでした。
 連鳥居をくぐり、門田稲荷の前にある神橋脇の八坂神社に頭を下げてから、橋を渡った所にある門田稲荷の扉は今回は開かれており、きれいに整えられた中の様子に思わず顔をほころばせつつ、お参りをします。
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 その後は脇にある絵馬がけの様子を少し拝見、他の神社と比べますと特にご利益があるとされているのが前述した通り「縁切」でありますから、その内容は中々人が内に秘めている気持ちの深遠さ、とでも言えましょうか。その中でも特に「陰」の部分と接せられるだけに、人によっては余り良くない印象を持つかもしれません。
 とは言えその中にあります萌絵馬、即ち「ひめたま絵馬」にキャラクターの絵を描いて奉納された、その様な絵馬が混じっているのはある種の救いでもあるでしょう。少なくとも人は様々なものを持っている、それを示唆する光景とも言えるかも知れません。
 なお通常の絵馬も下の写真の通り、当然存在しています。なお写真については一部加工してあります。
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 そして梁を横にしただけの橋を渡ってから、八幡宮にもお参りをしていよいよ社務所へと向かいます。なおこの際、七五三の家族連れがお参りに来た姿も見られ、その微笑ましい姿には何とも和めてしまったものでした。
 社務所は開いており、「ひめたま絵馬」を始めとしたお守り等をみていますと、中から人が出てきましたので私とてぁ君、それぞれで絵馬を1枚ずつ購入。ちなみにこの時、持ち帰るのか否か、と聞かれたので決行、「ひめたま絵馬」目当てで来る人が多いのかもしれません。
 当然、持ち帰るのが目的なのでその旨を伝えると、この所、「ひめたま」のステッカー等を貼った車や自転車が良く来ると微笑混じりに教えてもらえたり。それ以外にも幾らかの会話が出来たのは面白かったものですし、ありがたいものでした。
 ちなみに社務所の開いている時間は10月までは9時から16時、11月から春までは9時から15時と1時間短くなるので、その辺りは注意すべき点でしょう。
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 そんな具合で手に入れた「ひめたま絵馬」は以下の物、中々良い具合で何とも手に入れられて良かったと思っています。ちなみに一般的な絵馬と比べますとややサイズが大きいのも特徴でしょう。
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 当日は天気も良かったのでもう少し早く来ていれば、「ひめたま」の門田稲荷神社のたまちゃんに対するひめちゃん、即ち足利織姫神社にも足を運べたかもしれません。とは言え行くには少し遅いかもしれない、即ち門田稲荷から織姫神社に行くには、鉄道利用だと野州山辺駅から足利市駅まで1駅、そこから徒歩で渡良瀬川を渡ってそれなりに対岸にある両毛線の向こうまで、しばらく歩いていかなければなりません。
 つまり中々距離があるのです。また夕方までには高崎に戻らなければいけなかった事もあり、今回も織姫神社に行くのは見合わせざるを得ませんでした。
 最もこちらに関しては12月中にでも足を運ぼうかと思っています、両毛線足利駅の東側、また佐野駅の東側にお稲荷さんがあるのも確認出来ていますし、それ等とあわせて3度目の探訪を年内に出来たら、と思いつつの帰路でありました。
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 なお戻った野州山辺駅の窓口は閉まっていたので、乗降車駅証明書を手にして伊勢崎駅で精算となったものでした。

 なお「ひめたま」についてはこちらの公式サイト( http://www.himetama.jp/ )をご覧下さい。

 写真は2011年11月13日撮影、ただし1枚目と6枚目は2011年9月4日撮影。
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2011年07月29日

石和温泉のお天狗さんとお稲荷さん・前編

【探訪日時】2011年7月28日
【場所】山梨県笛吹市石和町松本
【施設名・交通手段】
・天狗神社(山神宮)
 →石和温泉駅から徒歩15分、山梨交通松本西停留所より徒歩2分
・普賢願生稲荷神社
 →石和温泉駅から徒歩20分、山梨交通・富士急バス鵜飼山停留所すぐ
・石和八幡宮境内社稲荷神社
 →石和温泉駅から徒歩18分、山梨交通・富士急バス石和温泉駅入口停留所すぐ

自分の稲荷神社巡りと言うのは大抵、地図を眺めていて見つけたお稲荷さんへ行くと言うもの。今回もそうして帰省中の時間を利用して久々の稲荷巡りを行う事になりました。
 最も今回はお稲荷さんと共に天狗にまつわる神社も含まれています。これも地図で見つけて気になった、と言うのが大きなものでしたがもう1つ、ある理由がある事を述べなくてはなりません。
 実は2ヶ月ほど前からコスプレを始めました。これは本来、こちらで触れる話題ではありませんが、そのコスプレのきっかけとなったのが東方Projectに出てくる犬走椛と言うキャラクターです。このキャラクターの設定にある種族は白狼天狗、つまりデフォルメこそされていますが天狗のコスプレをしている、と言えるのでそこから天狗にも関心を抱いていた矢先に、ふと地図を眺めていると「天狗神社」の文字を見つけましたので、あわせて確認した市内のお稲荷さんとセットで足を運んだと言う次第です。
 よって比較的長くなるかと思われますので今回は前編として「天狗神社」の里宮を、続けて中編として「天狗神社」の本宮、最後に後編として2つのお稲荷さんを取り上げたいと思います。

 甲府駅12時45分発の高尾行にて石和温泉駅に降り立ち、早速歩き始めたのは間も無く13時になろうかと言う頃。駅前から温泉郷に続く道ではなく、線路に沿って西へ向かう道を歩いていくとやがて道は線路を乗り越します。なおその際、目の前に見える山が今回訪れた天狗神社の鎮座している山となります。
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 線路の真上を越えた所にある脇に下りる小さな階段を下り、下りた場所にあるボックスカルバートを抜けると国道140号線に行き当たるので、左に折れるとすぐに現れるボタン式の信号機が参道の入口と言えるでしょう。
 実際、その信号の名前は「山神宮入口」。そして渡ったところに続いている細い路地の入口には石塔と同じく石で出来た幟立があり、車が頻繁に行きかう傍らに静かにたたずんでいる姿を見る事が出来ます。
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 道路を渡り路地に入った後は、車1台通れるのがやっとと言う幅のそれをそのまま道なりに進みます。途中で半ばカーブと角が一体化した様な場所がありますが、そこは直進せずにカーブしている左手へと進みましょう。そして突き当たりの角を右に曲がって進んでいくとふとした短い傾斜の先に、鳥居こそありませんが大木の下に古い一軒家の様な社が見えてきます。

 この社が天狗神社の里宮で目の前はゲートボール場、周囲はブドウ畑と住宅に囲まれていますが石積みの上に建てられた拝殿はしっかりとしたもので、鳥の彫られた板が他の神社では神額のある場所に掲げられています。また傍らには石和町によって建てられた由緒板があり、それを読む事でこの神社の持つ歴史の古さを伺う事が出来ます。
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 なおここに至る際にすれ違った地元の方と挨拶を交わし、神社にお参りに来た旨を話すと「今から山に登るのかい、気を付けてね」と言葉をかけられました。実は前述した様にこの社は天狗神社の里宮であり、地図上では「山神宮」と記されているのがこの社です。
 一方「天狗神社」の文字は「山神宮」の背後にある等高線の中、つまり山の上にあります。そしてこの2つの神社は石和町の立てた由緒板では「山神宮」としてまとめられているので、「天狗神社」と言う呼称は正式には正しくないのですが、地図の上では里宮が「山神宮」、本宮が「天狗神社」とされていますから本宮につけられている名称を優先して「天狗神社」としている次第です。
 よってこの里宮だけでは天狗神社にお参りした事にはなりませんので本宮を目指すとしましょう。本宮へ続く道は里宮の社の左にある坂道、コンクリートで舗装された坂道を少し登ると大木の下に鳥居が現れます。
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 コンクリートで舗装された道は鳥居と大木を避ける様にカーブを描いていますが、徒歩ですのでそのまま直進。そして鳥居をくぐり、大木の下にある小さな社に一礼して進むとカーブしてきた道に再び戻れますので、余り意味はないですが徒歩の経路だとカーブを短絡出来る、と言えるでしょう。

 道に戻るとすぐに現れるのがブドウ畑、既にブドウ畑の中を道は進んでいるのですがそこで道は本当の意味でブドウ畑の中へと入っていきます。そう道をブドウ棚が横切っているのです、言ってみればブドウ棚のトンネルでしょう。明らかに軽自動車以外は通過出来ない、そんな場所を過ぎると右手に甲府盆地が一望出来る場所になりますが、すぐに道はクランクとなって更に山肌を登っていきます。
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 その後はひたすら道なりに進んでいきます。なお前述したブドウ棚やその類が道路の上を覆っている箇所は2箇所ほど出現しますので、元々は人が歩く程度だった道をむりやり拡張した結果、こう言う妙な光景が複数出現したのだろうか?とふと考えられましょう。
 また道路上に落ちている果実には虫が多数おり、虫嫌いの人にとっては中々辛いかもしれません。個人的にはそう感じませんでしたし、むしろ複数のオオムラサキと思しき蝶の姿が見えたので。すっかりそちらに関心が行っていたものでした。
 そして傾斜が更にきつくなり、路面の状況も悪くなってきた辺りで唐突にコンクリート舗装の道は行き止まりになります。そこからは今度こそ人しか歩けない未舗装の細い道へと変わり、足を進めて間も無く、道はまたも軽いクランクを描いて斜面を登っていきます。
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 当然傾斜はより急になりますが、少し進んだ所にある獣害防止用の柵に設けられた扉の先に続く道と比較したらそれはまだまだ緩いものでした。

【「石和温泉のお天狗さんとお稲荷さん・中編」へ続く】

・写真は全て2011年7月27日撮影
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2011年05月17日

和洋混合なお稲荷さん、冠稲荷神社

【探訪日時】2011年4月24日
【場所】群馬県太田市細谷町
【神社名・交通手段】
・冠稲荷神社
 東武伊勢崎線細谷駅より徒歩30分

 冠稲荷神社は群馬県でも東部地域とされる太田市にあるお稲荷さんであり、その存在自体は以前から知っていたものの、これまでお参りに行った事の無い、比較的名前の知られているお稲荷さんの1つでした。
 今回は狐塚君が久々に遊びに来て、群馬をぶらぶらしようと言う事になった為。故にどこに行くかと言う話になった際、それでは行こうかと言う話になっての結果ですが実は裏話があり、今回、訪れたのは午前中の事でしたが本来であれば午後に訪れる予定でありました。
 しかしどうして午前に訪れたのかと言うと、実は朝に寝坊してしまい、本来であれば先に行く方面へ向かう列車に乗り遅れてしまった為、それではと両毛線に乗り込み、伊勢崎から東武線に乗り換えて冠稲荷の最寄り駅、細谷駅へ降り立ったのは8時の事でした。
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 細谷駅は1面2線の小さな駅、東武鉄道でよく見られる無機質な地下道を経由して改札口へ。駅舎は自動改札もない、PASMOの読み取り機さえなければ昔のまま、と言ったこじんまりしたもので駅前も路地の様な具合です。
 そこから道路の方へ出ると、ある石碑が角の所に立っています。それは「細谷駅附近名所案内」と彫られた黒御影石で出来たもの。そこにはその名前の通りに駅周辺の名所が彫られているのですが、その中に「正一位冠稲荷神社」と冠稲荷の案内も含まれており、駅周辺にある唯一の冠稲荷に関する案内となっていると言えるでしょう。
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 よってその石碑のある角を右に折れた道、それをひたすら進む事になります。駅からしばらくは歩道があるので歩くのは特に問題はありません。ただし駅前の自販機を除いて特に何か飲食物の入手を出来る場所は、途中の「彦九郎記念館前」交差点の脇にあるセブンイレブンのみありませんので注意が必要です。
 また途中で歩道がなくなり、狭い側溝の上を歩く形になるのも時期によっては辛いかも知れませんが、天気がよい限りでは特に問題は無いところでしょう。また後述する国道354号線までの間に冠稲荷の方角を示す道案内は1ヶ所のみしかありません。
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 そんな具合で延々と歩くと片側2車線の場は広い国道354号線にぶつかります。この地点で前方左斜めに見えるこんもりとした森が冠稲荷。よってこのまま道路を渡り道なりに行くと冠稲荷の北西側の参道に入るのですが、ここでは国道沿いに東へ進む事にしましょう。すると道路の両脇になにやら赤く塗られた枠を持つ大きな塔の様な看板が見えてきます。
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 実はこれ冠稲荷の建てた看板であり、左側の看板には「交通安全 車清祓」、右側には「縁結び 日本七社 冠稲荷神社」とあって立派なものです。
 また歩道脇にはその塔型の看板の足元に矢張り看板があるのですが、そこには以下の写真の様な2匹の狐がそれぞれ描かれていました。どちらも冠稲荷の名物である木瓜の花を咥えている姿となっており、狐好きとしては中々気に入ってしまったものでした。
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 どちらかと言えば線の細い、典型的な狐のイメージで描かれている方が好みかもしれません。
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 そしていよいよ交差点を渡ろう、と言う所でようやく3つ目の道案内が現れます。道路を渡ると先ほど道路右手に見えていた柱型の看板が現れる訳ですが、その根元の隣には冠稲荷の経営する洋風な結婚式場の看板も置かれているのは日本的な光景かもしれません。
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 あとは緑もまぶしい中の一本道を進みます。ここでようやく大鳥居の姿が見えてきます、これが冠稲荷の大鳥居である「甲大鳥居」で、近付いてみると緑を背景に鮮やかに朱に輝く姿は良いものと言えるでしょう。由緒等の書かれた看板もここにあります。
 右脇にはペット用のこじんまりとした社殿があり、左側には小さな鳥居を挟んで先にも触れた冠稲荷経営の結婚式場の洋風な建物の姿が見えますが、これも日本的な光景であると同時に、もし欧州に神社があったらこうなるのでないか?と言うふとした想像も働かせられてしまうのが面白いものです。
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 大鳥居をくぐると甲参道、幅のあるS字カーブを描いた参道を抜けるとすっかり境内です。印象としては狭い中に色々と詰まっている、ある種の箱庭の様な空間でしょうか。お稲荷さんを中心として諏訪社や厳島社等複数の社があります。
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 特に目を惹かれたのは本殿の前にある実咲社でした。ここは絵馬をかける場所でもあるのですが、絵馬をかける場所それぞれにちなんで白狐の像が作られており、その1つ1つが何とも愛嬌があって、大いに気に入ってしまいました。ちなみに突き当りには冠稲荷の木瓜の木があり、その手前、また中に設けられている社に向かってこの実咲社は参拝する形になっています。
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 なお実咲社にいる白狐を1つずつ下に紹介してみましょう。
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 まず左手最初にいるのが安産きつね、次いで縁結びきつね、そして実きつねとなります。
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 そして左手は奥から咲きつね・実咲きつね、安産きつね、子育てきつねとなります。なお写真の一部は都合により加工してあります。

 そして本来は順序が逆ですが本殿にお参りを、こちらにも狛狐が控えており頭に宝珠を載せている比較的古い形状。また尻尾の付け根には小さな毛並の筋が掘り込まれており、ふとした職人の粋を感じさせられます。
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 拝殿の壁には奉納された額が複数置かれており、その中には白狐面のものもあって思わず注目してしまったのは言うまでもありません。白狐面2つと翁面と言う組み合わせで良い表情でありました、また神額の方は「正一位五大社稲荷明神」となっており、何れにしてもきれいな状態であるのが好感でしょう。
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 その後は拝殿の左へと抜けて白狐社へ、ここが中々の圧巻であり言うならば白狐の集合団地との具合。ずらっと50メートルほどの長さに渡って、敷地の都合から折れている箇所があるとは言え複数の段に分かれて奉納された白狐像が並んでいる姿は何とも圧巻でした。
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 その後はしばらく境内をぶらぶらし、すっかり楽しませてもらったのも何かのご縁と言う事で記念に絵馬を買い求めて、先ほどの実咲社へと納めたものでした。なお実咲社に納める絵馬は「叶絵馬」のみですので、ここは注意が必要でしょう。また社務所の傍らにはベンチもあり、ここでゆったりとするのも中々オツかもしれません。
 そうしてから拝殿に一礼をしたの地、白狐社の奥にある戌亥鳥居へ。なおその途中、別の稲荷社もありましたのでそちらにもお参りをして、中々充実した冠稲荷を後にしたのでした。
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 そして細谷駅まで戻り前橋へ移動した後、前橋駅周辺のお稲荷さんを巡ったのですが、これについては別の機会に取り上げるとしましょう。冠稲荷さんにはまたお参りに行きたいと思えてしまったものでした。
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2011年04月16日

3ヵ月ぶりのゑの木市

 どうも縁日とはハレの場であるだけに、ついつい勢いに乗りすぎてしまうのが悩みに思う狐です。
 今日は毎月第三土曜日恒例の王子装束稲荷神社のゑの木市、本当なら行けない予定でしたが色々と事情が変わり、行ける事になったので1月以来3ヶ月ぶりの参加となりました。
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 正確に書くと2月はゑの木市の代わりに初午と二の午が行われ、二の午の時は国外にいたので参加出来ませんでしたが、初午には参加出来たものでした。
 対して3月はゑの木市当日に装束稲荷には行けたものの、到着する時間が諸般の事情により大幅に遅れてしまったので終わった時刻にたどり着くという体たらくでありましたから、しっかりと最初から最後まで参加したゑの木市と言うのは実質的に1月以来となったのでした。
 
 今回は本来なら行けないはずだった、と言う事で何だか気持ちが騒いでしまい、朝、家を出て高崎駅に到着した後、何時もは一緒に行く狐耳君が寝坊したと聞くなり足が勝手に新幹線改札に向かい、大宮まで新幹線を使うという謎な行動に出る始末。
 最も今回はウィークエンドパス利用でしたから、別途1790円の自由席特急券だけで済む、と言う事情がこの様な行動の背景にあったと考えるのは難しくないところです。
 そんな訳で高崎駅を8時1分に出て王子に到着したのは9時5分。これは普段の半分、いやそれをも上回る早さでしたので新幹線の威力や凄まじい、と言うところでしょうか。そんな具合でまだ朝の空気の漂う装束稲荷へ到着するなり、普段の到着時刻だとほぼ終わってしまっている準備を久々に手伝う事が出来たのは幸いでした。
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 3月初めの王子消防署のイベントに参加した際は、衣装を借りて身支度を整えたものですが今回はそう言う事はなく、着てきた服装のまま狐面と撥、そしてカメラを手にするのみ。矢張りまだ自前の衣装がないというのは気軽ではありますが、矢張り1度そう言う姿になった後だとどこか居心地の悪さも感じつつ、1月あるいは初午以来の撮影役等をするのが今回もメインになるだろう、と思っていたものでした。
 最も予定は未定と言うべきか、この度は王子の皆様のご好意により、装束稲荷の太鼓を使ってしばし稽古が出来る事になりました。
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 最初は百合之介さん並びに王子の皆様から手解きを受け、次いで遅れる事、ようやくやってきた狐耳君と、これまで自分がした事の無かった曲である「にんば」の稽古を1時間ほど行えたのはとても幸いだったと言えるでしょう。
 また終いの辺りでは月姫さんも加わって、太鼓と笛をあわせての稽古も行えました。これ等は自宅では太鼓と言うどうしても音が出てしまう故に練習がしにくく、機会が中々得られず悩んでいる身としては本当のありがたいもので、改めてこの場をお借りして取り計らって下さいました皆様にお礼申し上げるばかりです。
 その後は狐耳君の誘ってきた鉄路狐さん、またパリにてお会いした弓姫さんのお母様も見えられましたので久々の歓談をしつつ、火狐さんや水狐さんの舞、最も途中から所用で火狐さんが一旦出られたと言う事情もありましたが、その舞を撮影する等している内に時間は経過し、瞬く間に今回も4時間余りのゑの木市は新緑の気配漂う暖かさの中、終わりを迎えたのでした。
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 最も今回は冒頭にも書いた通り、自分を改めて振り返ってみると久々に参加出来た事への嬉しさから色々と気持ちが満足に走り過ぎ、ついついゑの木市における狐神楽、即ちあくまでも王子と言う土地に外から入ってきている集団である事。それを忘れていたのは否めません。
 故に内輪で周囲を忘れて盛り上がってしまったり、内輪の中でも互いに気をつけて見合うべきところで、気を抜いてなあなあにしてしまった点等、終わってからの話の中での指摘されてはっとなった事が多々あるところです。
 これ等の点を今後、改めて生かしていかなければならないと感じますし、妙な遠慮をしてしまう癖を直さなければならないでしょう。その為にもまずは小さな事から、あるいは周囲にある所からしっかりと自ら出て行ける様に、前にも書いた、あるいは書かずとも思った事であれましょうから、その様に感じられる次第です。
 とにもかくにも楽しめた一方で、久々のゑの木市で終いになってからとは言えその様に意識出来た、幸いな1日であったと思います。

 それでは末尾となりますが関係者の皆様、本日もありがとうございました。また今後ともよろしくお願い致します。

 また装束稲荷ではもう既に幾らか藤の花が咲き始めていましたが、4月27日から5月5日まで「藤まつり」と装束稲荷はなります。特に4月27日は初日と言うことから、当日午前10時から午後14時までの間の参詣客の皆様には、無料で甘酒が振舞われるとの事です。
 平日ではありますが機会の会う方は是非足を運んでみてはいかがでしょうか、そして良い一日になれば幸いと思います。
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2011年04月11日

「白狐と河童と竜の里」の駅とお稲荷さん

【探訪日時】2011年4月2日
【場所】岐阜県瑞浪市釜戸町中大島
【神社名・交通手段】
・神明神社境内稲荷社
 中央線釜戸駅より徒歩5分程

 各地を鉄道で巡っていると色々と車窓に気になるものを見つけるものですが、今回訪れたこの釜戸駅は2年程前から気になっていた、そう言う駅でした。
 釜戸駅と言うのは中央線にある駅ですが、JR東海管内の駅ですから中央西線ないし中央本線の釜戸駅と言うのが相応しいかもしれません。駅自体は小さなもので多くの時間帯は名古屋〜中津川間のセントラルライナーと快速列車あわせて2往復が停車するのみ、つまり30分に1本しか列車の来ない田舎駅と言った具合です。
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 そんな駅ですからこれまで降りた事もなかったのですが、前述した2年程前にふと車窓を眺めていると駅の構内に向かって下の写真にある看板が立っていました。

 それは「白狐と河童と竜の里 ようこそ釜戸へ」と書かれたもので、白狐と河童と竜の姿が描かれている等、観光を意識している事がうかがえます。その時は特に予備知識もなかったので、どうしてこんな看板があるのだろう、と不思議な気持ちを抱き漠然と何時か降り立ってみようとそれ以後も思っていたものでした。
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 その後調べてみますと白狐と言うのは駅の周辺にある2つの温泉、白狐温泉と新白狐温泉に因んだもの。河童については良く分からないままですが竜についても近くの山の中にある竜吟の滝、また竜吟の森から、との事で、だからそう言う組み合わせになっているのかと納得したところでした。
 とは言え名古屋に行く事はあっても基本的に東海道線経由ですから中央線は中々利用しませんし、利用したとしても特急「しなの」を使ってしまいますからこの駅は通過してしまいます。また名古屋からの近郊列車の来る範囲とは言え、それなりに離れていますから中々来る機会に恵まれずにいました。
 そして今回、半分は思い立ち、半分は予定が変わった為に複数枚余ってしまった青春18きっぷを使い切る為に最西端は倉敷まで行き、その途中の要所要所で基本的にはネット上での付き合いが中心である人とのオフ会をしつつ、念願の紀勢線乗り通しも達成した流れで釜戸駅へとやって来たと言う訳でした。
 
 釜戸駅に到着したのは16時ちょうど、セントラルライナー利用での到着となりましたが瑞浪駅からの利用なのでわずか1駅の利用となりました。
 乗ってきたセントラルライナーが出発した後、早速、車内から幾度も眺めていた、この駅に関心を持つきっかけとなった「白狐と〜」の看板を撮影。
 改めてしっかりと見ると温泉に浸かっている白狐の姿は何とも気持ち良さそうで悪くなく、由来が未だによく分からない河童も普通な姿ですが、竜に関しては鼻の辺りがデフォルメされ過ぎていて何だか串に刺さった団子の様に見え、ふとした笑みを浮かべてしまいます。
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 最も駅構内にそれ以外に類するものはなく、あるとすれば1番線にある「よぉおいでた釜戸町・大鍬町へ」の横断幕程度でしょうか。
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 駅舎の中にはJR東海さわやかウォーキングの常設コースの案内があり、駅前広場を出るところには昔からの観光地の駅前にはつき物の、周辺の宿泊施設等の広告を貼った門柱型のアーチ。そちらには「白狐温泉」「新白狐温泉」の広告と共に「竜吟の滝」の由来等が書かれていましたので、駅舎を一旦出てからそれ等に目を通します。
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 また先ほどの看板にあった竜の絵が「竜吟の滝」の所に矢張り描かれており、裏側の駅に向かって入る側にある「今日も元気にいってらっしゃい」の看板には、デザインの異なる竜と狐が手を振っている絵があり、中々かわいらしいものでした。
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 それ以外では東海自然歩道の案内があり、それを見ると駅舎から線路と国道を挟んだ所にある山の名前が「稲荷山」であり、砦の跡に稲荷神社がある情報が得られます。最も今回取り上げるお稲荷さんはそれとは別のお稲荷さんになります。
 なお余談となりますがこの看板にある「東海銀行」の文字は懐かしいものです。ちょうど10年程前に合併により消滅し、今の三菱東京UFJ銀行がその後身となっています。
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 その様な具合で駅周辺を観察してから一旦駅窓口に戻り、16時53分発のセントラルライナーの乗車整理券を購入。実はこの釜戸駅、駅員配置駅であるものの瑞浪市の補助金により運営されている駅であり、それ故か自動券売機の設置がないのです。
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 よって近距離の切符でも窓口で購入しなければならない、今時中々珍しい駅なのですが、だからこそこれも今では滅多にお目にかかる事の出来ない、手書きの切符が購入出来るとの情報を得ていたので、セントラルライナーへの乗車整理券と言う形でその切符を購入したのでした。

 そうして入手した乗車整理券をしまうと、再び駅舎を出て周辺の散策に。既に駅前は見てしまいましたし、これ以上見ても周辺に関する情報は得られそうにありませんから、実際に歩いてみる事にした次第。 最初は駅前から真っ直ぐに行くと中々良い具合に古びた家々が軒を連ねておりましたが、少し見てから更に進むとすぐに川に行き当たり、そこから先は畑や住宅街と言う具合でしたので余り具合は良くありません。
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 よって再びあのアーチの辺りへ戻り、そこから駅舎を背にして右に折れていく道へと改めて入りなおします。こちらも細い道で静かな家々が続いていましたが、しばらく進んだ所にあった食料品店のある角を右にまた曲がると線路沿いに至り、そのままガードを経て線路の向こう側に出ると何やら面白いものが見えて来ました。
 それは「蛙岩」と名付けられた巨石で、なるほど見るとその姿は今にも鳴声を出さんと言わんばかりの大蛙に等しく、頭の上に祠がある辺りからは古くからこの地にあった事をうかがえます。そしてそれを見てからは再び線路沿いに右へ曲がって道なりに進むと、これまでの静けさとは一変した音、車の行きかう音にあふれた国道19号の中大島交差点。
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 この交差点から道路を越えて更に進むと竜吟の滝や砦跡にある稲荷神社、また中山道大鍬宿へと至るのですが今回はそこまで時間はないので、道路を渡ってからその辻にある靖国鳥居の目立つ神社へと足を運びます。
 この神社もふとこの辺りの車窓を眺めていると目に入っていたので気になっていた所でした。名前は神明神社であり、鳥居脇に立っているその名を記した石柱には「村社 神明神社」とあり、「村社」の箇所はコンクリートで埋められていたので、この石柱は戦前(大正四年十月)に建てられ、戦後の国家神道解体の中でこの様な処置を受けた事がうかがえます。
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 境内は静かなものでしたが、旗竿には白い幟が2つはためいていましたし、ある程度きれいに整えられているのを見ると今でも地域の人々の手によって支えられている事がうかがえます。また社の右側には先ほど見た蛙岩に匹敵する巨石が鎮座しており、その傍らに境内社として今回紹介するお稲荷さんの姿がありました。
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 連鳥居は複数あるものの、大分痛んでいるのが少し気がかりでしたが幟も鳥居毎に2つずつ添えられているのを見ると、中々しっかりしていますしその内、これ等の鳥居も新たなものに変わるのかもしれません。
 そんな事を浮かべつつ至った小さな社は、東京の浅草神社境内にある被官稲荷神社と同様に社とは別の屋根に覆われている姿です。
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 石の狛狐は控えていませんでしたが、陶器の白狐が複数置かれておりました。そしてお参りをしてからふと観察すると、その木で作られた社の幾つかの場所に木彫りの狐の姿が見受けられます。
 まず左手から見ると奥には束ねられた収穫後の稲を背景としてお座りをしている狐があり、欄間の部分には宙を飛んでいる狐がいました。
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 対する右手の方は同様の位置に2匹彫られていて、前者は同様の背景の中で後ろ足で跳ねている狐、欄間は首を上向きに上げた姿勢で飛んでいる狐となります。そして正面部分には首をくっと後ろ向きにして飛んでいる狐と5匹もの狐が彫られている様は何とも狐好きとしては表情を緩ませずには、いられなかったものです。
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 他にも稲荷の宝珠や獅子の姿も彫られている等、小さい社ながらも細かいところに複数の意匠が見受けられるのは何とも楽しい発見であったとしか言えません。だからこそこういう神社、殊に稲荷巡りは何ともたまらない魅力に満ちている、そう言えてしまえるでしょう。
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 3月中に度重なった予想だにしていなかった出来事で、すっかり疲れ果てていたのも思い立っての旅行に出た一因である身としては、終盤も終盤にこの様な出会いがあったのは殊の外嬉しく、また機会があれば、その時は白狐温泉や竜吟の滝とあわせて立寄りたいものだと思いつつの帰路となったのでした。
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 写真は全て2011年4月2日撮影。
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2011年01月27日

徹夜明けの近場の稲荷巡り・児玉駅界隈

【探訪日時】2011年1月26日
【場所】埼玉県本庄市児玉町児玉付近
【神社名・交通手段】
・並木大明神
→八高線児玉駅より徒歩3分程度、武蔵観光バス児玉駅バス停至近
・正一位稲荷神社
→八高線児玉駅より徒歩10分程度、朝日バス児玉駅入口バス停・武蔵観光バス埼玉りそな銀行前バス停より徒歩2分程度
・正一位稲荷大明神
→八高線児玉駅より徒歩13分程度、朝日バス連雀町バス停より徒歩3分程度
・東石清水八幡宮及び境内稲荷神社
→八高線児玉駅より徒歩15分程度、朝日バス連雀町バス停より徒歩3分程度
・龍體稲荷神社
→八高線児玉駅より徒歩10分程度、朝日バス児玉小学校入口バス停より徒歩2分程度

 どうも冬の朝と言うものは寒いものですが、それだけに見える景色が澄んでいて美しいと思う狐です。
 さて昨日は色々としている内に徹夜してしまい、下手に寝るに寝られない時間になってしまっていたので、以前から足を運ぼうと考えていたお稲荷さんへと足を運んでみる事にしました。
 そんな訳で家からのんびりとまだ真っ暗な朝の夜道をのんびりとしばらく歩き、高崎駅から乗り込んだのは高崎駅6時4分発の八高線。キハ110の3両編成で改札口側の最後尾車両と自分の乗っていた中間車両に疎らに人が乗っている程度でしたが、時刻表を見ると高麗川辺りでの輸送力列車となるのでしょう。
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 そんな列車に腰を下ろして新聞を読みつつ、途中でふと窓に視線を向けるとこれまた見事な払暁の輝きに東の空が満たされており、しばしそちらを眺める等している内に下車する児玉駅に到着となります。
 児玉駅に降りるのは初めての事、ちなみに下車したのは自分だけで他に10人程度が乗り込んでくるそんな具合になっていました。そして出発していく列車を見送ってから改札口を出て早速今日の稲荷巡りの始まりです。
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 まずは駅前から真っ直ぐに伸びる道を歩んで100メートルほど行った所にある、Yショップヤマザキの看板のある商店の角を左手に曲がり、すぐの角を右手に曲がった先に見える神社へと向かいます。
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 赤い鳥居に赤く塗られた途端で覆われた社殿と言う姿のこの神社の名前は「並木大明神」、来る前に確認していた地図にその名前を見かけて、ふと気になったので来て見ましたが狛犬も狛狐もないので何の神社かは分かりませんでした。
 敷地はこぎれいで鳥居には注連縄、傍らにある祠には真新しい御幣もありましたから、この辺りの人々によってしっかりと維持されている事が伺えます。
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 お参りの後は再び駅からの通りへ戻り児玉駅入口の交差点を左へ。
 するとちょうど本庄駅に行くバス停「児玉駅入口」がありまして、ちょうど来たバスが行った後に時刻表を見てみると大抵の時間は1時間に2本設定されており、比較的本数が多く八高線よりも利用されているのではないかと言う気がしてしまいます。
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 なおこの道路自体は国道254号線でこのまま進むと群馬県、道路標識には富岡と藤岡の文字が書かれていました。
 そしてその交差点より200メートルほど進んだところにある郵便ポストの角を右に折れて狭い路地へ。
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 自動車が来たら幅一杯と言うほどの狭さで磨り減ったアスファルトの上に砂利が無数に落ちている、歩く度にじゃりじゃりと音が響く中を抜けた所が次なる神社である「正一位稲荷神社」。神社は仲町会館と言う集会所に隣接しており、この辺りの氏神さんなのでしょう。また鳥居の前のスペースは駐車場として活用されていました。
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 敷地は社殿と共に先ほどの並木大明神よりも大きく、その字の如く社の姿をしています。鳥居は両部鳥居で脇には石灯籠もあり、敷地内には木も映えているので小さいながらも存在感のある姿になっています。
 また狛狐もおり宝珠や鍵と言ったものはありませんでしたが、中々柳眉な瞳をしており美形と言えましょう。なお右手の狛狐の台座の前には白い焼き物の狐像も置かれています。
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 由緒等を書いた物は見当たりませんでしたが、敷地の一角には「東宮殿下 御渡欧記念」の石碑、仲町会館の壁には稲荷神社への社殿を整備したときの寄付者の名前一覧があったものでした。また狛狐の台座には「大正十年九月建立」の文字が彫られていました。
 
 そして再び国道254号線に戻って再び南下、辺りは次第に明るくなってきており交通量も段々と出て来たので町が起き出した事を感じられる中を更に進み、仲町交差点を過ぎてカーブを過ぎると道路の反対側に何やら無数の赤い幟がなびいているのが見えます。
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 実はこれを見るのは2度目で、先ほど正一位稲荷神社に向かう際、うっかり曲がるべき路地もう1つ先であると勘違いして通り過ぎてここまで来てしまったのでした。
 その時にこの幟、そう「正一位稲荷大明神」と書かれているお稲荷さんの幟を見て、位置がおかしいと言う事に気づいて一旦引き返しようやく正しい角を曲がってお参りが出来たのでした。そして再びここにやって来て、地図には載っていなかったこちらのお稲荷さんへのお参りとなります。

 このお稲荷さんの参道は正一位稲荷神社への参道よりもずっと狭い、正しく路地と言えるもので舗装はされていません。それに沿って赤いお稲荷さんの幟が無数にはためいているのは中々良い光景でしょう、そして付近の住人の生活の道としても活用されている様で、歩いていると神社の方から自転車が走ってきましてすれ違ったものです。
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 そうして路地の突き当たりにあるのが「稲荷大明神」。その姿は入口の時点で見えていましたが目の前に来ると瓦屋根の木造の社が、軒先にあるいかにも昔を感じさせる白熱電球の明かりとマッチしており、何とも心地よい雰囲気に満ちています。賽銭箱は社殿の中にある様で外にはありません、また中には太鼓も置かれており、お祭りも行われている事が伺えます。
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 ちなみにこの路地はお稲荷さんの所で角になっており、そのまま進むと児玉郵便局のある通りに出る様です。また事前に確認した地図ではこのお稲荷さんの名前はなかっただけに、嬉しい機会となったものでした。

 稲荷大明神を後にして次に立寄ったのは254号線に面してある「東石清水八幡宮」、旧社格では県社であるこの八幡さんは敷地の脇に江戸時代の高札場が移築されて保存され、文化財となっています。
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 この八幡さんはかなり大きな敷地であり、鳥居をくぐって中に入った所にある由緒を読むと平安時代から存在する古くからの八幡さんであり、現在の社殿も享保7年(1722年)に建てられたものである事が分かります。
 また神楽殿や参道途中にある随身門、そして日清戦争に出征した兵士が帰郷後に奉納した大絵馬、そして社殿前にある銅製鳥居や社殿自体も児玉町(現 本庄市)や埼玉県の文化財として登録されているとの事です。そして本殿にある竜や獅子の彫物は中々の躍動感があり、しばし視線を奪われます。
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 なお本殿前の鳥居の下には茅の輪が設置されていました、節分祭りに関連してのものなのでしょうか。そして本殿にお参りした後は境内を色々と観察、道路からも見えた池には鳥羽の二見浦の様な具合になっていましたが、水はすっかり氷結しており、この辺り一帯の防火用水とされている旨の看板が設置されています。そして池と通路を挟んで無数の石碑のある塚が作られており、富士塚か何かかと思いましたが、そう言う物ではない様です。
 また社殿に沿って小さな社が並んでおり、そこには日枝人事や八坂神社等がそれぞれ配置され、稲荷神社のその中にありました。これ等は社殿に対して小振りであり、余り手入れがされていない印象。
 また天満さんの所に何故か白い狐が置かれていて、稲荷神社には置かれていないと言う不思議な光景も見られたものです。そしてちょうどこの時、太陽が家々の間から顔を出したので境内は朝日の輝きに包まれたのでした。 
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 八幡さんを後にした後は一路、254号線を進みます。途中にあるモノリス看板で改めてその位置を確認し、本町交差点を過ぎてボタン式信号機のある角を右手に曲がると、そこが今日最後にお参りをする「龍體稲荷神社」。
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 最も鳥居は少し隣の路地の側にあったので、改めてそちらに向かうと古びた石の旗竿立てがその両脇にありました。しかしこの道自体はこの奥にある寺院への道となっている様で、お稲荷さんはその途中で分岐する形ですから、お稲荷さんの物ではないのかもしれません。
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 また鳥居のところから道の進む方角を見ると地蔵堂があり、そしてお稲荷さん自体が寺院風の建築であったのを見ると、かつてはこのお稲荷さんと奥の寺院は同一の存在ではなかったのか、と言う推測が出来ます。また敷地内にある木々には皆注連縄が巻かれており、庚申塚の姿もありました。そして社に隣接して「本町」と書かれた倉庫の様な物が建っており、構造からするに山車でもしまわれているのかもしれません。
 また龍體稲荷の名の如く、ここにも見事な木彫りの龍がおりました。やや見難い位置にあるのですが、それでもその躍動感は伝わってくるものでした。
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 そうしてお参りを済ませると本町交差点まで戻り道なりに児玉駅へ。7時28分発の列車にはぎりぎり間に合わなかったものの、児玉駅始発の7時45分発の列車に乗り込んで高崎に戻ったのでした。
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2011年01月05日

装束稲荷に詣でて伏見稲荷へ

 どうも2011年、平成23年も始まり5日目の晩となりましたがいかがお過ごしでしょうか。
 昨年は10月以来、狐好きと言うものをある形、即ちそれは狐神楽となりますが、それと具体化出来た、出来たとまでは言えずとも至るまでの道筋をつけられた年でした。だからこそそれに対する感謝の気持ちを抱きつつ、昨日4日は装束稲荷へと初詣へ行ってきました。
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 初詣自体は地元の氏神さんで、お稲荷さんへのお参りとして見ても2日に地元の少し離れた所にあるお稲荷さんへと詣でてしまったものですから、完全な形での今年初のお参りではありません。とは言え年末の王子の狐の行列には所用もあり参加出来なかった事もありますから、なるだけ早く、と言う点から4日の装束稲荷への初詣となったのでした。
 先月25日以来およそ10日ぶりのお参りとなった装束稲荷は31日の晩の装い、つまり黄色の提灯や看板等もそのままになっていて狐の行列当日の雰囲気を髣髴とさせる、そんな具合のままでありました。
 これにはやや意外な感想を抱けてしまいます。つまり既にこれら、狐の行列当日の装いは片付けられてしまっているだろう、そう考えていたからです。しかし同行した狐耳君のほぼ当日のままになっている、との言葉もあって行列自体は終わってしまい、さらに今は陽光の注ぐ昼間である事を考慮しても、その片鱗に少しでも触れる事の出来たのは幸いなものでしたし、何時かは行列に参加したいものだと思いを噛み締めさせられます。
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 その様な中で装束稲荷へ詣でた後は王子稲荷へ、王子稲荷へ行くのは昨年10月のゑの木市以来の事ですから実に3ヶ月ぶりとなります。4日は平日ですから正面から入る事は出来ないかもしれない、と思っていましたが幸いにして境内にある保育園は休みであったので、表から入って石段を登りお参りをします。境内は新年まだ明けて4日と言う事もあってか、参拝者の姿が程好くあり冬の柔らかい日差しの下での和やかな空気に満ちていました。
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 その後は1日2往復しかない王子駅と亀有駅北口を結ぶ東武バス王30系統に乗り込んで亀有駅へ、そして友人のライシーンさんと合流してからは新御茶ノ水で中央線に乗り換えて吉祥寺へ降り立ちます。
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 吉祥寺までわざわざ来たのは井の頭自然文化園にいるホンドキツネを久々に見に行こう、と言うプチオフの為でした。その井の頭自然文化園のある井の頭公園の中には弁天さんと池を挟んでお稲荷さん、親之井稲荷が地図にも載る事無く存在しています。よって自然文化園の分園で鳥を眺めた後は、親之井稲荷へ立ち寄りお参りとなります。
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 この親之井稲荷さんは普段はそれこそ静かな、まるで忘れ去られているかの様な趣があり、これがまた味なのですが新年だからでしょう、「親之井稲荷大明神」と白く抜かれた赤い幟を幾つも、また違った味わいを木漏れ日と水面から反射する光による独特な明るさの中にはためかせている、普段と少し異なる、しかし相変わらずどこか心おつく静けさをまとっていました。

 そして賑わい、煙の香りの色濃い弁天さんをお参りしてから自然文化園本園でホンドキツネを堪能した後は、吉祥寺駅より電車で新宿へ。
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 もう時刻も17時を回ったあたりで暗さも深まりつつありましたからこのまま夕飯、そう言う流れを浮かべつつ車窓を見下ろしながら雑談していたその時、不意にどこにでもある路地の入口にある意味では場違いな鳥居の姿が目に入りました。
 その姿には自分だけではなく狐耳君やライシーンさんも気がつき、ちょうど駅、西荻窪駅に到着したところで見かけたものですから、では行ってみようとさっと電車を降りて改札の外へ。そして北口へ回り、左手に折れて数分と行くこともない所にその鳥居はありました。
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 電車の中から見た時と同様に、鳥居は路地の入口に唐突に立っている印象で奥には社の姿もありません。むしろ路地はすぐ間も無く西荻窪駅の高架橋で行き止まりになっている具合で、最近高崎の駅前に出来た鳥居をその入口に置いている商店の様でもない、しかし鳥居自体はしっかりと色が塗られた新しい、と言う印象すらあって松が巻かれて街路灯の明かりに映えているのには、異世界の入口でもありそうな雰囲気を纏っていると言えるでしょう。
 その中で神額を見上げるとそこには「伏見稲荷神社」の文字が彫られています。最もその部分は大分古びていましたから鮮やかな朱色の部分は塗り替えられたのかもしれません。よってとにかくお稲荷さんである事が明らかになったので奥へ進むと、先に入っていた狐耳君がそのお稲荷さんの社を見つけていました。
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 社と言ってもそれは小さな祠を少し大きくした、と言う具合で路地が高架橋に当たって尽きる手前、鳥居から見て右手の建物の壁の間にめり込むようにして作られた空間に置かれていました。そこには手作り感のある特徴的な反り方をした高さ2メートルほどの鳥居が注連縄と鈴を伴って立っており、その根元には鉢植えが置かれています。まるでどこかの庭先の一角、そんな雰囲気すらありますがそこはお稲荷さんでした。
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 しっかりとその地域の人々から管理されている様で、壁には改修に際しての奉納者の一覧をしたためた紙が貼られていましたし、賽銭箱も金属製のしっかりとした物が置かれていました。このお稲荷さんについては全く知らなかっただけに、ふと数年前に親之井稲荷さんを見付けた時、つまり地図に載っていないお稲荷さんを見つけた時に感じるあの嬉しさを抱きつつ、残照が残る中のお参りとなります。

 ちなみにこのお稲荷さんのある路地は入口からは分からないのですが、お稲荷さんの前まで行くとただ行き止まりなのではなく、西荻窪駅の中にある西友の入口の1つへ繋がっている路地でした。よって意外と人の行き来があったものです、そして自分達もお参りした後は西友の店内を経由して駅へと戻ったのでした。

 この様な具合で、また新たなお稲荷さんと始まった今年の稲荷巡り。狐神楽と共に色々と深めていけたらと思えてならないものでした、そして本年も末尾となりましたがよろしくお願い致します。
 写真は全て2011年1月4日撮影となります。
posted by 冬風 狐 at 21:54| Comment(2) | TrackBack(0) | お稲荷さん探訪録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月27日

山王稲荷神社・蒸気機関車と大井川の傍らに

【探訪日時】2010年12月26日
【場所】静岡県榛原郡川根本町田野口
【交通】大井川鉄道田野口駅より徒歩2分

 普通電車であちらこちらを歩いていると唐突にお稲荷さんを見かける事は良くある。その一例が東海道線西岐阜〜大垣間だろう、この区間では4つほどのお稲荷さんを通りがかる度に車窓に見ているものだが、生憎今だに立ち寄れた事がなく、見かける度にある意味では一種の一里塚として意識させられ、そして何時かはお参りに行こうと思い続けている存在である。
 その様な中で昨日、昨夏に見かけて以来、何時かはお参りに行きたいと考えていたお稲荷さんに行く事が出来たのでそれを取り上げる事にしましょう。

 大井川鉄道に初めて乗りに行ったのは昨夏の事だった。それ以前から蒸気機関車が走り、また井川線区間にはアプト式区間がある等と色々と興味深い存在ではあったが、その運賃の高さと所要時間の長さに中々機会を見つけられずにいた折、ネットで知り合った友人583さんと共に関西旅行に行く途中にて立ち寄ったものだった。
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(↑アプトいちしろ駅にて連結作業中のアプト式電気機関車、2010.12.26撮影)
 大井川鉄道自体がそれはもう思っていた以上に楽しくて仕方なく、またの再訪を誓ったのは最早必然であった。しかし興味の範囲はただ鉄道に限られるのではない、そうその沿線に地図では見つけられなかったお稲荷さんを確認したと言うのもそう誓った背景の要因として大きくあったのであって、その際に確認出来たのは以下の2つである。
 まずは千頭駅近くの「豊川稲荷千頭別院」である、これは千頭駅に到着した折に当地の地図を見て知ったものだった。そしてもう1つが今回取り上げる「山王稲荷神社」、こちらは金谷から千頭へ向かうSL急行に乗車していた際に眺めていた車窓の中に見出したもので、思わず小さな声を漏らしてしまったものだった。
 生憎SL急行はその山王稲荷神社の最寄り駅である田野口駅には停車しない。何よりその時は大井川鉄道を全線乗りとおした上で、井川駅の先にある井川湖にある渡し舟に乗る、と言う目的での大井川鉄道であったからまたの機会に、と先送りをする、ただしその場所だけは記録して再訪に備える、と言う事しか出来なかった。

 しかしまたの機会は中々訪れず、次なる夏は色々と多忙であり出かけたとは言えども大井川鉄道を行程に組み込むことは難しい地域であった。よって次に行けるのは果たして、と思っていた矢先に狐塚君より10月頃に大井川鉄道に行きたい、と言う話が持ち込まれた故に夏ではなく冬となるが大井川鉄道への再訪の機会を得られた次第である。
 当初の計画ではこのお稲荷さんに行けるかはかなり微妙なところであった。それは今回も大井川鉄道を全線乗る、更に井川線内の幾つかの駅に降りる、と言うのを前提に組んだ結果、大井川本線は単純往復するしかない、と言う形になってしまった為で今回も車窓からその姿を眺めるに留まるのは避けられない。
 だがいざ当日が近くなるとこれもまた縁と言うものなのだろうか、色々と面白い変化があった。

 まずは21日から25日まで実質、不眠不休に近い状態で東京〜大阪間を2往復する事になったのである。それも後の1往復は風邪を引いた状態でした事から、25日の晩に島田駅近くのホテルに投宿した際、疲労はピークに達しており21時頃に眠りに就いたにも関わらず、目を覚ましたのは翌日の6時と9時間余り予定よりも長く寝てしまった。
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(↑宿泊したホテルからの夜明け)
 更に起床後は来年年明けに狐塚君と共に行く予定の欧州旅行、この中でも英国滞在中の予定が定まっていなかったので、その辺りを目覚ましも兼ねて話し合い、その場でロンドンからグラスゴーまでの往復チケットをネットで購入する等していたら、当初予定していた時間の出発が不可能になったのである。最もまだこの時点では朝食を食べてからでも、乗る予定の列車こそ遅れるものの、井川までを単純に往復する事は可能であった。
 そんなかんだで大井川鉄道金谷駅に到着し、乗り込んだのは金谷9時16分発千頭10時29分着の普通電車。そして田野口駅手前の山王稲荷神社に車内から一礼してから、千頭駅に到着して井川線、ただし奥泉駅までの代行バスの車内での放送である事実を知る事になる。
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(↑千頭駅前の井川線代行バス、2010.12.26撮影)
「尾盛駅は熊が出没した為、現在お客様のご利用は出来なくなっています」
 実のところ、もう金谷駅で乗り込む時点で井川駅までの往復は今回は出遅れの影響もあって意味がない。ただ20分だけ折り返し時間を過ごす為だけに行くのなら、その手前の「秘境駅」として有名な尾盛駅の何もなさを味わった方が面白そうだ、と言う話になっていたのである。
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(↑奥大井湖上駅における尾盛駅熊出没告知ポスター、2010.12.26撮影)
 よって尾盛駅へ行く事が井川線に乗る目的と変わっていたのだが、それすらも果たせないとなるならどうしたものか、と考えた結果、急遽奥大井湖上駅に降りる事にした。これは奥大井湖上駅は井川線名物であるアプト区間が出来る背景となった長島ダム建設に伴う廃線の一部を、一定の距離一望出来る駅である事を把握していた為で、それを駅の上から眺める事を目的にしたのだった。

 だがこれだけであれば当初の予定から最終的には変わらない事になる。つまり(井川12時46時発→尾盛13時14分発→)奥大井湖上13時29分発の井川線に乗り、千頭から14時58分発のSL急行で金谷へ戻る、と言うものであり山王稲荷神社へはどっちみち行けない。
 しかしキーとなるのが尾盛駅ではなく奥大井湖上駅で折り返す事だろう。うっかり失念していたのだが実はこの奥大井湖上駅13時29分発の前には1本上り列車があり、それが奥大井湖上駅から1駅北にある接阻峡温泉駅で乗ってきた井川行下り列車と行き違うのである。
 よってそうとは知らずに奥大井湖上駅で下車した後で、掲示されている時刻表を見て12時発の上り列車の存在を知った時、それはある種の驚きに包まれたとしか言う事は出来ない。だからこそ改めて時刻表を確認して、12時の列車に乗って千頭駅へ戻った足で田野口駅へ向かい、山王稲荷神社に足を運んだ後で隣の下郷駅へ移動し、そこからSL急行に乗れる、そうと判明した時は何とも不思議な嬉しさを感じられてならなかった。
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(↑奥大井湖上駅より見る現在線と廃止された旧線、2010.12.26撮影)

 そして奥大井湖上駅12時発の上り列車に乗り込み、再び奥泉駅から代行バスで千頭駅へ戻って昼飯を食べてから、今度は大井川本線の列車に乗り込んで田野口駅に到着したのは14時6分と少し日差しも落ち着いた頃合だった。
 揺られてきた近鉄車両の普通電車から下車したのは、自分達2人のみで駅舎や駅構内の観察をしてから、早速駅より200メートル余り金谷寄りにある山王稲荷神社へと向かう。
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(↑上は田野口駅を発車する近鉄車両、下は田野口駅より山王稲荷神社へ続く道、2010.12.26撮影)
 山王稲荷神社には鳥居はない、立地はと言えば目の前の道路を挟んで大井川鉄道の線路、そして線路の向こうは木の生えた傾斜地の下には天竜川、と言わば3つの流れに接している。
 拝殿と本殿は分離しており、いずれも朱塗り等はなく茶色と白の2色に彩られていると言える。どこかそれはお堂の様な雰囲気であるが、だからこそだろうか、ふと目にすると足を向けざるを得ない存在感がその雰囲気の正体であると思える。
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(↑山王稲荷神社全景、2010.12.26撮影)
 神額は横に大きく茶色の額の中に黒く「山王稲荷神社」と太く筆で描かれている。賽銭箱や鈴を始めとした設備もしっかりと手入れがされており、古びているとかそう言う気配はない。とにかく地域の人々によって変わらず大事にされているその気配が、新年を迎える装いも相俟って随所に漂っていた。
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 由来も正面から見て左手の斜面際に設置されており、それによれば山王神社のお稲荷さんを合祀した神社であるとの事である。解説の大半は山王さんについて割かれている事を考えると、元々は別の存在であった山王さんとお稲荷さんが何らかの理由によって合祀された、と言う書き出しには強い説得力がある。
 しかし何時からこの地にあるのか、また合祀時期に付いては特に明記されてなく、ただ古来から、とのみ書かれていた。由緒自体は平成4年1月に建てられたとある事から、比較的最近であるのも興味を惹かれるところだろう。
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 静かな山間にたたずむ良い気配に包まれたお稲荷さん、その一言に尽き、なおかつまたここに足を運びたいと思えてならないお稲荷さんと言える。
 なお千頭駅付近には先に取り上げた豊川稲荷の他に稲荷神社、また家山駅近く、そして島田市街にもお稲荷さんを確認しているので、機会を改めてまた訪れたいところです。
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 なお写真は全て2010年12月26日撮影。
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2010年10月19日

蘇和稲荷神社・旅の始まりに面するお稲荷さん

【探訪日時】2010年10月9日
【場所】広島県尾道市尾道駅前
【交通】山陽線尾道駅より徒歩1分

 さて4年ぶりの更新となるお稲荷さん探訪録。その第一弾は今月初めの旅行で偶然立ち寄った、広島県は尾道駅前にある蘇和稲荷神社を取り上げましょう。

 尾道駅に到着したのは11時27分。相変わらず降り続いている雨の中を改札口にて合流した狐好きが縁で知り合った友人、キリヲさんと共に尾道ラーメンを食べた後、さてどうしようかと辺りを見回していた時に気付きました。
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 それははためく幟旗と共に整備されて、ガラス張りの建物と緑の芝生と言う今風な空間の中に忽然として現れた社の姿に目が惹かれました。何より駅前であり、かつ道路の隣は海と言う狭い土地にそれ等が一気に詰まっている光景は大変興味深いものでした。
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 それだけでも足をふと向けてしまうのに十分でありましたが、より興味を惹かれたのはそこに「稲荷」の文字が躍っていた事でしょう。雨は相変わらず降り続いていましたが、雑談の為にどこかの店に入り込む前に1つ、と言う事でペディストリアンデッキを屋根代わりにしながら早速近付きます。ちなみにそこはバス乗り場となっており、その後ろにしっかりとしたお稲荷さんがあると言うのも中々面白い光景でしょう。
 そうしてたどり着いた参道の入口、そこからはまた雨の下となりますがそれもまた一興。何よりも今朝の激しい雨と比較すると大分弱まっていたのは確かでしたから、まずは入り口の撮影をした後、すっと参道へと足を踏み出します。
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 それにしましてもふと立ち止まって見つめる、否、見上げると背景としての前述した建物の姿が何とも対照的であるのが改めて印象に残ります。最も拝殿自体も比較的新しく、敷石や参道にもそこまで古い時代の気配が漂ってはいません。ですからこれはある意味では美味い融合模様を見せている、とも言えるでしょう。まるで神社そのものも同時に造られたかの様な印象を受けてしまいます。
 とは言え鳥居に先立って境内の入口にある2つの右手には「霊威赫奕震四海」、左手には「盛徳廣大利萬民」と刻まれた石柱は「明治35年」。そして鳥居自体は中々の古い物で鳥居には「明治44年11月」の文字が。これを見ると駅前一帯の再開発、それ以前から唯一伝えられているものである事が一目瞭然であり、その歴史を感じさせられます。
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 生憎、境内には由来を示す物はこれ以外にはなかったので創建年等の詳細は今なお不明です。しかし駅前の再開発自体は1999年に行われた模様ですので、この真新しい融合模様はまだ11年余りの光景と言えましょう。
 さて狐像の方は対照的に新しく、恐らく再開発により建て直された際に新しい物に交換された事がうかがえます。これ自体はやや残念なものですが、狐像は石像とは言え鳥居等と比べますと加工されている分、風化や劣化が進みやすい点があります。故に致し方ないのかもしれません、神額についても新しい物に交換されていました。
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 拝殿の扉は開かれており、すっと一礼を。そしてお参りを済ませてから、しばらく今度は境内の中から整備された駅前を一瞥して戻った次第でした。
 そして前述した通り、境内を出たところがバス乗り場であり、駅であると言うのが改めて印象的。つまり神道の本来の姿である神とは1つの場所に留まるのではなく、様々な場所を渡り歩く、その発想に通じる旅の出発点であるのが後世の発展に伴う偶然り産物とは言え、ふとした縁を感じます。

 なお帰宅後にこのお稲荷さんについて検索してみたところ、幾らかの写真は拝殿の扉が閉じられた状態になっていました。ちょうど幟があがっていた事を考えますと、恐らく扉が開いていたのと関連する、つまり秋祭りの時期であったからではないかと思えます。よって自分は中々貴重な光景を見れたのかもしれません。
 そしてこのお稲荷さんの他にも、山陽線の車窓を眺めつつ東へと戻る際に、あちらこちらで同様に幟がはためいていたものです。10月の始めで稲刈りがそろそろと言う時期、また相生の手前まで良く目立ったもの。
 恐らくはちょうど岡山県から広島県にかけて秋祭りの時期であったのでしょう、兎にも角にも偶然にして印象に強く残る探訪となったのでした。
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2006年07月07日

秋葉原・神田界隈稲荷巡り・その1

【2006.5.21西町太郎稲荷神社】
 前回の穴守稲荷で〆た「川崎・羽田稲荷巡り」につづく第二弾として企画した「秋葉原・神田界隈稲荷巡り」はいざ計画してみると27ものお稲荷さんを巡る上に、横須賀線田浦駅付近の5月1日に廃線となったばかりの相模運輸専用線探訪も兼ねていたので、まだ朝日も昇っていない早朝3時に家を出て337発の新潟発ムーンライトえちごに乗り早朝から巡る事にしました。
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 比較的空いていたえちごに揺られて大宮で下車し京浜東北線に、本来なら430発の始発に乗る筈でしたがトイレに行く等していて乗り遅れてしまい止む無く次発の449発にて御徒町へ。南浦和付近から居眠り都合よく御徒町に到着した所で目を覚ましまだ人影の無い改札を向けて駅前に出ます。
 今日まず最初に巡るお稲荷さんである西町太郎稲荷は、御徒町駅から東北東に位置し春日通を東へと進みます。首都高上野線をくぐり更に進む事200メートルほど行った所にある名も無い信号機付きの交差点を左へ。目印として角にサークルKがあるので比較的分かり易いでしょう。
 左へ折れた先の路地を今度はローソンのある角を右へと折れ、50メートルも行かない2つ目の角を再び右折します。そしてすぐに表われるT字路を左折するとビルとビルに挟まれた様に目的のお稲荷さん「西町太郎稲荷神社」はそっと鎮座しておりました。
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 赤い幟がはためき小ぎれいにきちんと整えられた西町太郎稲荷は脇にありました由来によりますと、かつてこの地にあった九州は筑後柳川藩の大名屋敷の敷地内に建てられたのがそもそものきっかけであるとなっており、万治年間と言う事は西暦に換算すれば1658〜1660年に当たります。
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 つまりは江戸時代の初期に建てられて以来、340年余りの歴史を誇る当然ながら由緒正しき稲荷神社なのです。かつて「伊勢屋稲荷に犬の糞」と言われるほどに江戸市中に特に数多く存在する物を上げた言葉が今にも伝わっていますが、その元祖的存在と言える稲荷神社でしょう。尚、このお稲荷さんには石狐は存在しません。
 そして一通りすべき事をすると足は次なるお稲荷さんへ向って動き始めます。

【稲荷神社データ】
・西町太郎稲荷神社
・東京都台東区東上野1丁目23-2
・交通アクセス
・JR御徒町駅、東京地下鉄日比谷線仲御徒町駅3番出口より徒歩5分程度
・東京地下鉄上野広小路駅、都営地下鉄大江戸線上野御徒町駅からは地下連絡通路を通り日比谷線仲御徒町駅3番出口経由で徒歩10分程度
・都営地下鉄大江戸線新御徒町駅A1出口より徒歩5分程度
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2006年07月04日

川崎・羽田稲荷巡り・・・その4

【2006.5.14穴守稲荷探訪記】
 京浜急行穴守稲荷駅前にてコンちゃんをしばし眺め、再び歩き始めた足の向う先は今日最後の目的地である穴守稲荷神社。豊受姫命を祀りかつては進駐米軍をも負かしたこの霊威ある神社は流石に世相にあわせたのかは定かではありませんが、1998年の羽田拡張の際唯一かつてその場に神社があったと言う証たる空港敷地内にある大鳥居も、世間を騒がせ注目を集める事態を起こさずに空港敷地内を移転しました。
 そんな大鳥居がかつてその入口を守っていた穴守稲荷神社自体は現在、羽田空港の西側の住宅地の中に存在しており大鳥居の一件で大いに知られる所となり、多くの参拝者の集まる全国的にも知名度の高いお稲荷さんとなって今に至っています。以前から事ある毎に行って見たいものだと思っておりましたから今回の探訪は強く楽しみにしていたところであり、何処か逸る気持ちを抑えつつシャッター通りを抜けた先に鳥居の鮮やかな朱色を確認した時には喜びを密かに噛み締めました。
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 その穴守稲荷の境内は予想していた物よりもずっと奥深くまずは狐塚へ、無数の石狐が鬱蒼とした中にある様は一種独特な気配を醸し出しており、このままずっとここにいると異世界への扉が出現してしまうのではないか・・・ふとそんな事を思い浮かべさせられたものでした。
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 そして狐塚を後にしてまずは本殿に、矢張り全国区の屈指の知名度を誇るだけにその大きさと言ったら立派なものであり、今回巡った4つの稲荷神社の中で最も立派と言えるでした。ここを守る石狐の顔は中々凛々しく状態も比較的良く、中々好感の持てる姿形では無いでしょうか。
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 本殿に参拝するとその足で今度は本殿右脇に続く、木々の元を走る稲荷神社を象徴する光景の1つでもある鳥居の列の中を行く参道へと入ります。この参道の突き当りには「奥之宮」と呼ばれる社があり、そこではご利益のある「あなもりの砂」と称される「御神砂」を手に入れることが出来ます。
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 当然自分もそこで用意されていた袋に砂を奉納された無数の狐達の視線を受けながら積め、手を合わせて下がると先程ここに至るまでの参道沿いにあった複数の社を一つ一つ巡りながら戻って行きます。
 その順序は「築山稲荷」「稲荷大明神」「出世稲荷」「開運稲荷」「必勝稲荷」の5社でどれもこじんまりとした造りではありましたが、どれもそれを祀る人々の思いに満ち満ちている気配が感じられ中々良い気配であったと個人的には感じられたものでした。
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 そして狐塚と本殿に加えて奥之宮と5社を巡りお御籤を引いて穴守稲荷神社を後に、今度は入って来た時とは逆にある空港側の鳥居をくぐって住宅地の中へと出ます。そして歩く事5分もかからずに運河沿いに出ると堤防を上がり、そこにある橋・・・その名も「天空橋」と言う明らかに不釣合いな名前をした簡易な橋を渡って京急の天空橋駅へ入って行きます。
 これで今回の稲荷巡りは終了、この後は羽田空港にて軽い食事を取った後は高速バスにて横浜駅へ戻りました。そして横浜駅からは武蔵野南貨物線を経由する上に、今年の3月快晴以降はJR東日本東海道線区間を定期的に唯一一般客扱いで走る国鉄近郊型115系を使用した様々な意味で貴重な大宮行臨時快速「ホリデー快速鎌倉」号で帰宅の途についたのでした。
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【稲荷神社データ】
・穴守稲荷神社
・東京都大田区羽田五丁目
・交通アクセス
・京急蒲田駅→京浜急行空港線5分→穴守稲荷駅→徒歩10分→鴎稲荷神社
※京急川崎→穴守稲荷130円、運転間隔4〜15分
※穴守稲荷駅は快特・エアポート快特は通過、各停・急行・特急の何れかを利用の事。
※穴守稲荷駅を出て左へ曲がり一つ目の角を右折、そのまま直進すると鳥居の姿が見える。
※品川駅から羽田空港行き急行で18分、京急川崎駅から羽田空港行き特急で13分、羽田空港駅から4分。
※羽田空港行き特急は京急川崎以南泉岳寺〜京急久里浜・三崎口間快特併結、快特として運転。
※羽田空港からの場合、天空橋駅からのアクセスも可。
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2006年05月26日

川崎・羽田界隈稲荷巡り・・・その3

【2006.5.14 鴎稲荷神社】
 川崎大師境内の福徳稲荷堂を後にするとまずは産業道路へ向かってひたすら東進し、片側3車線の合計6車線と言う威容の産業道路を横切る京急大師線を眺め見て大師橋を経て多摩川を越える事、およそ40分余り穴守稲荷へ向かっている途中でやや道に迷い住宅街の中を彷徨っているとふと見つけたのがこの「鴎稲荷神社」でした。
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 文字通り住宅街の中に溶け込んだ「鴎稲荷神社」は、白い石造りの鳥居を1つ持ちその広くとも狭いとも言えない境内は草生している箇所はあるものの、基本的にはこざっぱりとしてその雰囲気は悪くはありませんでした。そしてここには1つの出会いが待っていたのです。
 鳥居くぐって正面の本殿、その隣に幾回りも小さな社がおかれています。これはお稲荷さんとは別に厄神様を祭っているもので、いざお参りをしようと目を向けたその時どうもひさしの上が妙です。何やら白い物体がこちらを眺め下ろしているではないですか・・・そうそれは猫でした、中々気合の入った好ましい顔をしてこちらを眺め見ています。
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 思わず呆気には取られましたが気を取られて数枚撮影、猫の背中の背後にある「厄神様」と言う看板が下から見ていると上手い具合に「厄」の字が隠れてしまっているものですから、これは正しく猫神様です。もしかするとその社に祭られている厄神様の姿だったのかも・・・等と勝手に思ってしまうそんな光景だったのでした。
 なお、この「鴎稲荷神社」には石狐の像は存在していません。そして撮影とお参りをすませると足は今回の稲荷巡りの最終目的地へ向けて再び動き始めたのでした。
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【稲荷神社データ】
・鴎稲荷神社
・東京都大田区羽田
・交通アクセス
・京急蒲田駅→京浜急行空港線5分→穴守稲荷駅→徒歩10分→鴎稲荷神社
※京急川崎→穴守稲荷130円、運転間隔4〜15分
※穴守稲荷駅は快特・エアポート快特は通過、各停・急行・特急の何れかを利用の事。
※穴守稲荷駅を出て右へ曲がり踏切を横断、そのまま直進し突き当たりのT字路を左に行き右手側3つ目の角を右へ行き直進、突き当たりT字路右へすぐ。
※品川駅から羽田空港行き急行で18分、京急川崎駅から羽田空港行き特急で13分、羽田空港駅から4分。
※羽田空港行き特急は京急川崎以南泉岳寺〜京急久里浜・三崎口間快特併結、快特として運転。
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2006年05月17日

川崎・羽田界隈稲荷巡り・・・その2

【2006.5.14 福徳稲荷堂】
 先に紹介した藤森稲荷神社のある富岡八幡宮(金山神社)脇の交差点を神社の境内から見た方向に直進する事、およそ5分にして500メートルほど行くとそこは誰もがその名を知る全国随一の規模を誇る寺院川崎大師がある。どうして川崎大師に言及するのかといえばその中にお稲荷さんが存在するからである、いわゆる仏教系稲荷と呼ばれる性質のものだ。その為ここでは福徳稲荷神社とではなく川崎大師での呼び方に従って「福徳稲荷堂」と表記する。
 この「福徳稲荷堂」と言う名のこの稲荷堂は、川崎大師の大本堂と不動堂の間に挟まれてこじんまりと存在している。小振りながらも小奇麗に、鳥居も含めて周囲の建物とはじゃ間異なった雰囲気を漂わせていた。
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 この稲荷堂に祀られているのは荼枳尼天であり、これまで紹介してきた各稲荷神社にて祭られていた宇迦之御魂神とは異なる。そしてこれこそ明治までの神道と仏教の関わり合い、俗に言う神仏習合の象徴的存在であって何よりも狐と聞いてイメージされる呪術的な事柄は全てこの仏教系稲荷を起源とされている。
 そもそもどうして仏教系稲荷が存在するのか?それは仏教が日本に入り、その際に日本人が荼枳尼天の姿を見て狐を連想、正確に書けば荼枳尼天の乗っている獣に狐を当てはめた事がそもそもの発端と言えよう。ちなみにこの獣は本来はジャッカルであると今では解説されている、当時の日本には当然の事ながらジャッカルの存在はなくまたその認識もなかったが為に最も姿の似ていた狐を当てはめたのだろう。
 その様な訳で日本においては狐に乗っていると認識された荼枳尼天は仏教勢力の拡大、加えて仏教と神道の接近による相互補完関係の形成により仏教系の稲荷が誕生し、主に密教である真言宗と深い係わり合いを見せて真言宗と共に全国に広がったのだった。当然川崎大師は真言宗、正式には真言宗智山派・大本山金剛山金乗院平間寺と言う名前である。
 真言宗と稲荷の関係は空海が東寺を823年に朝廷より賜った事がそもそものきっかけとされている、元々稲荷神と言うのは平安京の出来る以前から山城の地に勢力を張っていた渡来人系の一族である秦氏の氏神的存在だった。それが平安京造営を機に元々持っていた政治的な地位を向上させ、それにあやかって秦氏の氏神であった稲荷神が広く信仰されるようになった。
 そこに空海が唐より帰国し朝廷よりその地位を認められて賜れた東寺の造営の際の材木を秦氏が提供したものだから、稲荷神が東寺の守護神となりひいてはその東寺の宗派である真言宗と結び付いた次第だろう。なお、これには空海が稲荷神と交渉して守護神となってもらったと言う逸話も存在している。
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 さてこの川崎大師の境内にある「福徳稲荷堂」は前述した様に非常にこじんまりとした小奇麗である。鳥居は石造りの白い物が3つ連続しており本殿との狭い間に挟まれるかの様に狐の像があって、目や耳の中が赤く縁取られたり塗られており首には赤い前掛けをかけているその姿は中々見栄えも良く狐らしい。
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 それ以外の点では特に目立った物は見られないがわずかに敷かれている砂利が、これまで見てきた幾つかの稲荷神社との違いとも言えようか。それ以外はただこれだけを見ただけでは神社そのものであり、仏教寺院の中にある神社・・・何処か不思議で違和感の無い日本的な心地良い光景だった。

【稲荷神社データ】
・福徳稲荷堂
・神奈川県川崎氏川崎区大師町
・交通アクセス
・京急川崎駅→京浜急行大師線5分→川崎大師駅→徒歩5分→川崎大師内福徳稲荷堂
※京急川崎駅→川崎大師駅130円、運転間隔5〜10分
※川崎大師駅下車後に改札左手大師参道入口交差点を横断し右手の歩道を歩いて5分。
※京急川崎駅はJR川崎駅に隣接、東京駅から東海道線で17分、立川から南武線で61〜68分
※横浜駅からは京急川崎駅まで京浜急行線快特で7分、羽田空港駅から直通で15分
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2006年05月15日

川崎・羽田界隈稲荷巡り・・・その1

【2006.5.14 藤森稲荷神社探訪記】
 川崎・羽田界隈の稲荷巡りの第1号は冒頭にも上げた様に「藤森稲荷神社」である。この稲荷神社は京急川崎駅より京急大師線で5分の川崎大師駅から徒歩2分余りの京浜工業地帯と住宅地の混在した場所に存在している。


 川崎大師駅にある唯一の出口を出ると駅前を国道409号線が東西に横切り、多くの人は道路を渡って左手の路地へ・・・この駅を降りる人の多くは全国でも参拝者数において一二を争う大寺院、川崎大師へと向かうべくそちらへと折れるのが大半であるがここはそちらへ向かう事無く右手の交差点を渡りそこから直線に続く二車線の通りへと進む事にしよう。
 駅から見て右手の歩道を歩き宮川病院と言う名前の病院を通り過ぎる頃に、すぐに昼間であるならば子供たちの歓声が聞こえてくるかも知れない。そして続いて道路に対して斜めになった形で白い石造りの鳥居が見えてくると、そこが目的の稲荷神社をその敷地内に持つ神社「若宮八幡宮」である。最もこの名前で読むよりももう1つの名前、正確にはこの八幡宮の敷地内にある神社である「金山神社」と言った方が分かる人が多いだろう。藤森稲荷について書く前にこちらにまず余談ではあるが触れておこう。
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 この「金山神社」は金山彦神、金山姫神を祭神とする神社で両神は鍛冶冶金・鋳物等を司る神として金属加工業に従事する人々の信仰を集めており、八幡宮の脇にある「金山神社」の本殿内には鞴や炉が御神体の前に備え付けられ毎年の祭りの際にはそれが披露され祭事が行われるのだが、これはあくまでもこの「金山神社」の一面に過ぎない。「金山神社」が知られている理由、それはこの神社の御神体が男根であり毎年4月に行われるに男根を乗せた神輿が町を練り歩くと言う「かなまら祭り」と言う名の奇祭が行われるからである。
 ご利益として安産・縁結び・夫婦和合等があるとされており、本殿の前には高さ1メートル余りの御神体を模った黒光りした巨大な男根が置かれており是非一度見てみる事をお勧めしたい。尚、1999年に完成した本殿は神社らしからぬ型破りな形をしているのでこちらも見逃せない。
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 では話を本筋へと戻そう、本殿へと通じる参道の入り口は道路に対して斜めにある鳥居より更に道路沿いに奥へ10メートル進んだ所にあるのでそちらから入る事にする。
 「若宮八幡宮」と書かれた先程のとほぼ姿かたちの同じ鳥居をくぐり参道を進むと目の前に八幡宮の本殿、右手には社務所が置かれておりお守り等はそこで入手する事が出来る。ちなみにその右隣には保育所があり先程の子供達の歓声というのはそこから響いているものだ。そして入ってすぐの左手に逸れて行く道、その先に2つの片方はクリームを、そしてもう片方は朱色に塗られた鳥居がまるで隠れているかの様に立っているが当然朱色の一番奥手にある鳥居が目指すべき「藤森稲荷神社」である。
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 クリーム色に塗られた鳥居を持つ「大鷲神社」を右に時代を感じさせられるアメ車を左に見つつ朱色の鳥居をくぐり、わずかに腰を曲げなくては進めないほどの複数の鳥居を抜けて本殿へと至る。祠サイズではあるが賽銭箱に鈴と全てがミニチュアサイズではあるがしっかりとした設備を持つ上に周囲を無数の狐で囲まれたその姿からは、間違う事無く稲荷神社である事を実感させられる。
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 祭神は前回紹介した「烏子稲荷神社」とは異なり稲荷神である宇迦之御魂神のみである様だが、両脇に控えている狐と共にその後の本殿を取り囲む様に安置されている大小様々な奉納された無数の狐達によって決して劣る事は無い・・・とふと思えてくる。
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 ここのおきつねさまは若干見方によっては犬っぽく見えるかもしれないが確かに狐であり、本殿を正面に右手に控えているおきつねさまは子狐をその足元に置いている所が特徴的であろう。状態は中々良いのだが残念な事に左手に控えている狐の首が悪戯でもされたのかぽっきりと根元から折られた痕跡も生々しいまま補修されているのが残念であり、悲しくも感じられた。そして次なる稲荷神社へ向けて一礼の後に歩を進めるのだった。
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【稲荷神社データ】
・藤森稲荷神社
・神奈川県川崎市川崎区鈴木町
・交通アクセス
・京急川崎駅→京浜急行大師線5分→川崎大師駅→徒歩2分→若宮八幡宮内藤森稲荷神社
※京急川崎駅→川崎大師駅130円、運転間隔5〜10分
※川崎大師駅下車後に改札右手大師駅前交差点を横断し右手の歩道を歩いてすぐ。
※京急川崎駅はJR川崎駅に隣接、東京駅から東海道線で17分、立川から南武線で61〜68分
※横浜駅からは京急川崎駅まで京浜急行線快特で7分、羽田空港駅から直通で15分
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2006年05月02日

烏子稲荷神社探訪記

【2006.4.28 烏子稲荷神社探訪記】
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 烏子(すないご)稲荷神社は高崎市内にあるその名の通り稲荷神社である。場所は高崎市中心部より北方に位置する上小塙町(かみこばなまち)にありその歴史は古く平安時代の783年に創建されたものだと言う。祭神は宇迦之御魂神、天照大神、スサノオノミコト、天神様の4柱で宇迦之御魂神と言うのが稲荷神であり天神様とは菅原道真公の事だ。

 この宇迦之御魂神、お稲荷さんは創建の際に京都藤ノ森神社より分霊されてきたと伝えられる由緒正しきものであり、創建以来今日に至るまで高崎市北東部の六郷・長野地区の鎮守様として崇められて来た。

 そして戦国時代には武田信玄公が箕輪城攻略の際に戦勝祈願の宿願を行いその縁で今もこの近隣には武田家の家臣の浦野家の子孫が住んでいるのだと言う、意外な所で出身県と縁があったものだと感じてしまった。江戸時代には徳川家より御朱印を与えられる等して現代までに至っている。


 烏子稲荷に訪れた時はもう一面が夕焼けに包まれている時刻で帰宅ラッシュで道路がそろそろ混み始めるそんな時だった。高崎市の中心街方面より自転車を漕いで北上し高崎環状線を過ぎて前を見ると寺と住宅の屋根の向こうにこんもりとした森が姿を現した。

 大体その位置は事前に確認してきた地図での位置とほぼあっていた事からあの森こそ烏子稲荷であろうと踏んで適当な箇所にて道から外れて脇道へ入ると、案の定森から南へ向けて両脇に木を生やした道が伸びておりそこには稲荷神社の目印とも言える赤い旗が「烏子稲荷神社」と白抜きで描かれて幾つか立っている姿が見え参道である事は一目瞭然であった。

 そしてふと視線を逆の方向に向けるとなにやら銀色の巨大な物が鎮座している、その側面は何処か見慣れた形・・・何の事は無い、それは鉄道車両であったのだ。その時目的の稲荷神社に無事到達できた安堵感と共に意外な物を見つけたと言う驚きで心の中は沸き返った事は言うまでも無いだろう。もう西の空に太陽は大きく下がっていたがまだまだ時間はあると見え、稲荷神社に訪れる前にまずそちらの方を観察してみる事にした。

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 外からその車両をうかがって見る限りでは2両の客車でありレールと枕木も敷かれてその上に車輪がしっかりと載っている事、そして足回り等もほぼ完全な状態で残っている事だった。また車内は事務所兼倉庫として使われている様で雑然とはしているが殆どが現役当時の照明とボックスシートを始めそのままで残されているのが分かった。

 流石に方向幕については中身こそ外されてはいたもののガラスに傷は無くサボ受けもそのまま、銀色に塗装こそされているがここに運び込まれてから施された物らしくあの白帯が塗装の下から静かにその存在を主張していた。そして2両を繋ぐ貫通路も薄汚れているとは言え機能しており破損も見当たらず、何よりもその妻面に限っては青色20号の原色がそのまま残されているではないか。

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 そしてそこに書かれた表記より形式がオハ12であり、民営化後もJR東日本に引き継がれ最後の全検を平成4年5月に大宮工場で受けた後に廃車となった事は分かったものの、その他には特に表記は見当たらずそれ以上の出自は不明であった。置かれている場所は運送会社の敷地内であり前述した様にそこそこ手入れはされて事務所等として使用されているようだから今後も末永く生きて欲しいものである。


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 さて話を本筋に戻すとその鉄道車両の終わる十字路が烏子稲荷神社の参道入り口である、十字路から100メートルほどの参道を進むと車が二三台置ける駐車場があり、その正面には鳥居と神社内の簡単な地図の他に幾つかの看板が立てられていてここが活気ある場所である事を示している。そしてその西方には池がありその真ん中には弁財天が祭られていて、祭られている島までは橋が一本伸びていた。水を汲み上げている人の姿があったから田植えの際の用水池としても利用されているらしい。

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 自転車を傍らに止めて立ち入ると蛙の像が鎮座しており拝殿と本殿は目の前にそびえる丘の上にある。その間の狭い敷地には狛犬と車用のご祈祷所、身代わり達磨、社務所に神社の由来の書かれた案内板と日清戦争戦没碑が立てられていた。

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 時間が遅かったため閉まってはいたものの社務所の窓口の所には200円と100円のお御籤が置かれ、その後ろにあるガラス窓の向こうにはお札やお守りなどが値札が付けられておかれていたから昼間などに来れば営業しているのかもしれない。それらを一回り見ると早速階段へと足をかけた。

 赤い鳥居と石の鳥居をくぐった先の階段はそう急ではなく昔からの鎮守様と言う雰囲気が満載であり拝殿の威容がすぐそこに見えて取れる。中ほどを過ぎた辺りで再び狛犬と思しき物がありそのわずか上には稲荷神社の象徴であるおきつねさまの像が一対、堂々とした面持ちで登ってくる自分を見下ろしていた。

ここのおきつねさまはマズルが少し太い所が特徴的であろう、また下から見て左手のおきつねさまを背後から見るとちょうど木々の間から下界の様子が見えて静かに見守っている・・・その様な感じがしてどこか温かい気持ちになるのは自分だけであろうか。そしてそれを過ぎると拝殿が完全装備の整備された姿で待ち構えていたのだった。

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 拝殿付近の写真を撮っている間に現れて参拝を終えたおじさんの後を追って自分も参拝し右から裏へ回る。拝殿の右脇には神楽殿があるのが目に付くがその更に北側には天神様とそれこそ立派な白狐像の安置されたお宮とが置かれておりその傍らには無造作に山積みであるかのように無数の石造りの小さなお宮がそれぞれ白狐の像をつけて転がっていた。そして更に細い道が奥へと回り込むように続いていたので足を進めるとその先にはまたもや驚かされる物が待ち構えていた。

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 緩やかなカーブと勾配の細道を進むと道は唐突に分岐するのだがそれをわずかに通り越した箇所に丘の、つまりは斜め上に見えている本田の地下へ続くような石組みのトンネルが口を空けその入り口には金網が被せてあるが、奥は広くなっている様でどうにも不思議な存在である。

 一瞬狐塚かその類かと思ってしまったが視線を上げるとそこには看板が立っており、何とこの稲荷神社の建つ丘は6世紀頃に作られた古墳だと言うのだ。その名も神小塙稲荷山古墳として平成3年3月に高崎市の文化財に登録されている価値ある存在らしい。古墳と稲荷の取り合わせとはその力はかなりの物なのではないのだろうかとふと思えてしまった。

 そして思わずその穴にも手を合わせ、元来た道を戻り拝殿の前を横切ってお御籤を引いてから家路へとついた。

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【稲荷神社データ】
・烏子(すないご)稲荷神社

・群馬県高崎市上小塙町

・交通アクセス

・高崎駅→市内循環バスぐるりん高経大線(系統番号3・4)35分→上小塙市営住宅前→徒歩5分→烏子稲荷神社

※ぐるりんは全線均一200円

※バス降車後道なりに北上し大森保育園のある信号付き交差点を西へ曲がり、左手の運送会社の道路側に置かれている銀色塗装の鉄道車両が目印。稲荷神社は右手側のこんもりとした森に包まれた丘にある。

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posted by 冬風 狐 at 16:04| Comment(3) | TrackBack(1) | お稲荷さん探訪録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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