2011年01月27日

徹夜明けの近場の稲荷巡り・児玉駅界隈

【探訪日時】2011年1月26日
【場所】埼玉県本庄市児玉町児玉付近
【神社名・交通手段】
・並木大明神
→八高線児玉駅より徒歩3分程度、武蔵観光バス児玉駅バス停至近
・正一位稲荷神社
→八高線児玉駅より徒歩10分程度、朝日バス児玉駅入口バス停・武蔵観光バス埼玉りそな銀行前バス停より徒歩2分程度
・正一位稲荷大明神
→八高線児玉駅より徒歩13分程度、朝日バス連雀町バス停より徒歩3分程度
・東石清水八幡宮及び境内稲荷神社
→八高線児玉駅より徒歩15分程度、朝日バス連雀町バス停より徒歩3分程度
・龍體稲荷神社
→八高線児玉駅より徒歩10分程度、朝日バス児玉小学校入口バス停より徒歩2分程度

 どうも冬の朝と言うものは寒いものですが、それだけに見える景色が澄んでいて美しいと思う狐です。
 さて昨日は色々としている内に徹夜してしまい、下手に寝るに寝られない時間になってしまっていたので、以前から足を運ぼうと考えていたお稲荷さんへと足を運んでみる事にしました。
 そんな訳で家からのんびりとまだ真っ暗な朝の夜道をのんびりとしばらく歩き、高崎駅から乗り込んだのは高崎駅6時4分発の八高線。キハ110の3両編成で改札口側の最後尾車両と自分の乗っていた中間車両に疎らに人が乗っている程度でしたが、時刻表を見ると高麗川辺りでの輸送力列車となるのでしょう。
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 そんな列車に腰を下ろして新聞を読みつつ、途中でふと窓に視線を向けるとこれまた見事な払暁の輝きに東の空が満たされており、しばしそちらを眺める等している内に下車する児玉駅に到着となります。
 児玉駅に降りるのは初めての事、ちなみに下車したのは自分だけで他に10人程度が乗り込んでくるそんな具合になっていました。そして出発していく列車を見送ってから改札口を出て早速今日の稲荷巡りの始まりです。
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 まずは駅前から真っ直ぐに伸びる道を歩んで100メートルほど行った所にある、Yショップヤマザキの看板のある商店の角を左手に曲がり、すぐの角を右手に曲がった先に見える神社へと向かいます。
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 赤い鳥居に赤く塗られた途端で覆われた社殿と言う姿のこの神社の名前は「並木大明神」、来る前に確認していた地図にその名前を見かけて、ふと気になったので来て見ましたが狛犬も狛狐もないので何の神社かは分かりませんでした。
 敷地はこぎれいで鳥居には注連縄、傍らにある祠には真新しい御幣もありましたから、この辺りの人々によってしっかりと維持されている事が伺えます。
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 お参りの後は再び駅からの通りへ戻り児玉駅入口の交差点を左へ。
 するとちょうど本庄駅に行くバス停「児玉駅入口」がありまして、ちょうど来たバスが行った後に時刻表を見てみると大抵の時間は1時間に2本設定されており、比較的本数が多く八高線よりも利用されているのではないかと言う気がしてしまいます。
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 なおこの道路自体は国道254号線でこのまま進むと群馬県、道路標識には富岡と藤岡の文字が書かれていました。
 そしてその交差点より200メートルほど進んだところにある郵便ポストの角を右に折れて狭い路地へ。
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 自動車が来たら幅一杯と言うほどの狭さで磨り減ったアスファルトの上に砂利が無数に落ちている、歩く度にじゃりじゃりと音が響く中を抜けた所が次なる神社である「正一位稲荷神社」。神社は仲町会館と言う集会所に隣接しており、この辺りの氏神さんなのでしょう。また鳥居の前のスペースは駐車場として活用されていました。
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 敷地は社殿と共に先ほどの並木大明神よりも大きく、その字の如く社の姿をしています。鳥居は両部鳥居で脇には石灯籠もあり、敷地内には木も映えているので小さいながらも存在感のある姿になっています。
 また狛狐もおり宝珠や鍵と言ったものはありませんでしたが、中々柳眉な瞳をしており美形と言えましょう。なお右手の狛狐の台座の前には白い焼き物の狐像も置かれています。
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 由緒等を書いた物は見当たりませんでしたが、敷地の一角には「東宮殿下 御渡欧記念」の石碑、仲町会館の壁には稲荷神社への社殿を整備したときの寄付者の名前一覧があったものでした。また狛狐の台座には「大正十年九月建立」の文字が彫られていました。
 
 そして再び国道254号線に戻って再び南下、辺りは次第に明るくなってきており交通量も段々と出て来たので町が起き出した事を感じられる中を更に進み、仲町交差点を過ぎてカーブを過ぎると道路の反対側に何やら無数の赤い幟がなびいているのが見えます。
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 実はこれを見るのは2度目で、先ほど正一位稲荷神社に向かう際、うっかり曲がるべき路地もう1つ先であると勘違いして通り過ぎてここまで来てしまったのでした。
 その時にこの幟、そう「正一位稲荷大明神」と書かれているお稲荷さんの幟を見て、位置がおかしいと言う事に気づいて一旦引き返しようやく正しい角を曲がってお参りが出来たのでした。そして再びここにやって来て、地図には載っていなかったこちらのお稲荷さんへのお参りとなります。

 このお稲荷さんの参道は正一位稲荷神社への参道よりもずっと狭い、正しく路地と言えるもので舗装はされていません。それに沿って赤いお稲荷さんの幟が無数にはためいているのは中々良い光景でしょう、そして付近の住人の生活の道としても活用されている様で、歩いていると神社の方から自転車が走ってきましてすれ違ったものです。
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 そうして路地の突き当たりにあるのが「稲荷大明神」。その姿は入口の時点で見えていましたが目の前に来ると瓦屋根の木造の社が、軒先にあるいかにも昔を感じさせる白熱電球の明かりとマッチしており、何とも心地よい雰囲気に満ちています。賽銭箱は社殿の中にある様で外にはありません、また中には太鼓も置かれており、お祭りも行われている事が伺えます。
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 ちなみにこの路地はお稲荷さんの所で角になっており、そのまま進むと児玉郵便局のある通りに出る様です。また事前に確認した地図ではこのお稲荷さんの名前はなかっただけに、嬉しい機会となったものでした。

 稲荷大明神を後にして次に立寄ったのは254号線に面してある「東石清水八幡宮」、旧社格では県社であるこの八幡さんは敷地の脇に江戸時代の高札場が移築されて保存され、文化財となっています。
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 この八幡さんはかなり大きな敷地であり、鳥居をくぐって中に入った所にある由緒を読むと平安時代から存在する古くからの八幡さんであり、現在の社殿も享保7年(1722年)に建てられたものである事が分かります。
 また神楽殿や参道途中にある随身門、そして日清戦争に出征した兵士が帰郷後に奉納した大絵馬、そして社殿前にある銅製鳥居や社殿自体も児玉町(現 本庄市)や埼玉県の文化財として登録されているとの事です。そして本殿にある竜や獅子の彫物は中々の躍動感があり、しばし視線を奪われます。
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 なお本殿前の鳥居の下には茅の輪が設置されていました、節分祭りに関連してのものなのでしょうか。そして本殿にお参りした後は境内を色々と観察、道路からも見えた池には鳥羽の二見浦の様な具合になっていましたが、水はすっかり氷結しており、この辺り一帯の防火用水とされている旨の看板が設置されています。そして池と通路を挟んで無数の石碑のある塚が作られており、富士塚か何かかと思いましたが、そう言う物ではない様です。
 また社殿に沿って小さな社が並んでおり、そこには日枝人事や八坂神社等がそれぞれ配置され、稲荷神社のその中にありました。これ等は社殿に対して小振りであり、余り手入れがされていない印象。
 また天満さんの所に何故か白い狐が置かれていて、稲荷神社には置かれていないと言う不思議な光景も見られたものです。そしてちょうどこの時、太陽が家々の間から顔を出したので境内は朝日の輝きに包まれたのでした。 
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 八幡さんを後にした後は一路、254号線を進みます。途中にあるモノリス看板で改めてその位置を確認し、本町交差点を過ぎてボタン式信号機のある角を右手に曲がると、そこが今日最後にお参りをする「龍體稲荷神社」。
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 最も鳥居は少し隣の路地の側にあったので、改めてそちらに向かうと古びた石の旗竿立てがその両脇にありました。しかしこの道自体はこの奥にある寺院への道となっている様で、お稲荷さんはその途中で分岐する形ですから、お稲荷さんの物ではないのかもしれません。
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 また鳥居のところから道の進む方角を見ると地蔵堂があり、そしてお稲荷さん自体が寺院風の建築であったのを見ると、かつてはこのお稲荷さんと奥の寺院は同一の存在ではなかったのか、と言う推測が出来ます。また敷地内にある木々には皆注連縄が巻かれており、庚申塚の姿もありました。そして社に隣接して「本町」と書かれた倉庫の様な物が建っており、構造からするに山車でもしまわれているのかもしれません。
 また龍體稲荷の名の如く、ここにも見事な木彫りの龍がおりました。やや見難い位置にあるのですが、それでもその躍動感は伝わってくるものでした。
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 そうしてお参りを済ませると本町交差点まで戻り道なりに児玉駅へ。7時28分発の列車にはぎりぎり間に合わなかったものの、児玉駅始発の7時45分発の列車に乗り込んで高崎に戻ったのでした。
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2011年01月23日

自主稽古と狐面のリニューアル

 前回の記事では何時稽古をする時間が出来るか、と書いたものですが出来る時は出来るもので、今日は午後から2時間ほど狐耳君と共に太古の稽古をしていました。
 今回からは新しい曲にも手を付け出しましたが、それと同時にこれまでは曲を覚える事、そして撥を操る事に慣れる、それを中心にしてきたので余り重視していなかった事柄も意識しつつ取り組む事になりました。それはある種の間合いを作ると言う事でしょう、ただ叩くのではなく連続して叩くところにほんの一拍の間を空けると言うものですがこれが意外と出来ず、しばらく繰り返した結果、何とか出来る様にはなりました。
 確かにその一拍があるとないとでは同じ叩くでも大分印象が変わるものです。何よりリズムと言うのがより明確に刻める様になると言えましょうか、そう言う点で今回の稽古は狐耳君との自主練であるとは言え中々有意義なものでありました。これからしばらく3月中ごろまでは色々とまた動き回る時期が続き、練習の機会も中々得られないものですが折角覚えた今回のリズムを忘れない様、努めて行きたいものでした。

 そして練習の後は雑談を色々としつつ自分の狐面の手入れをしていました。
 当初はヒゲの付け替えがメインだったのですが、色々と紆余曲折した結果、ただの手入れのはずが狐面のデザインのリニューアルにまで及んでしまいました。
 まず以下の写真が手入れを始める前の姿です、見えている歪んだヒゲをそれぞれ取り外し新しいヒゲに取り替える予定でいました。
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 どうしてヒゲを取り替える事になったのかと言うと、当初扇形の形に調えてヒゲを付けたものの、いざ持ち運んでみるとそれまでの鞄では横に狐面を入れなくてはならず、結果としてヒゲが潰れてしまった為です。また狐神楽関係の道具は一箇所にまとめて置いた方が色々と便利、現状でも狐面の他に撥や楽譜、また身につける布地と幾つかありますから、全てをまとめられる専用の鞄を欲していました。
 とは言え意外と要求を満たす鞄はないもので色々と探し回った結果、先日立寄った高崎駅の無印良品にそれはありました。購入したのは女性向のコスメ用の大きな鞄、ちょうど狐面の大きさと縦やマチの長さが余裕を含んで無駄なく合いましたし、中は購入者の都合に合わせて自由に組める様にと基本はガランドウ、そして今ある道具を入れてもなお余裕がある深さ、と条件が見事に揃っていたので購入に至ったのでした。
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 価格も2900円と中々お手頃なところで助かったものですが、これにより余程手荒く扱わない限りヒゲが壊れる事はまずなくなったのでヒゲの手入れ、つまり瞬間接着剤の解除液を用いてヒゲを固定している接着剤を溶かし、新たな狐ヒゲを入れる、新しい物に交換すると言うのが当初の手入れの内容だったのです。言ってみれば中々単純な事でしょう。
 しかし実際に試みてみるとそう上手く行きません、何せ幾らやっても全然接着剤が剥がれないのです。どうやら予想以上にしっかりと接着剤の成分がしみこんで固まっているらしく、全く剥がれず埒が明かない事を受けてやり方を変更。
 まずはヒゲの出ている部分を切断し、狐面にヒゲを通す穴を開けた時と同様に太い針で穴を開けて貫通させようかとしましたがこれも上手く行かず断念。何より張子自体が実は結構薄く、故に軽くて使いやすい狐面なのですが、余り力を入れすぎるとそ破損する恐れがあったのも一因となります。

 結果として更に内容を変えてヒゲはそのまま活用する事になりました。実は取り替える予定の新しいヒゲは色をつけたものにする予定で、既に色を塗った新しいヒゲを別に用意していたのです。しかし現状のヒゲが取り外せないのなら、そのヒゲを活用するしかありません。
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 こうなると一箇所のヒゲを切ってしまったのはある意味失敗でしたが、今更戻る訳ではないので何とかそれを活かすしかありません。
 幸いと言えるかもしれないのは表側からかけた解除液の影響で、一部のニスが剥がれてしまった事もありましたからニスを上塗りする必要が生じた事です。よって新しい色、つまり模様を追加してその切断面を覆ってしまう事にしました。またそれ以外の場所でも少し色を足した結果、以下の様な狐面へと変化しました。
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 一見するとどこが変わったのか分からないかもしれませんが、まず正面から見て気が付くのがヒゲでしょう。前と後、それぞれ一対になっているヒゲの前側は緑色とし、後側は桃色に染めました。ヒゲのバックが白色でしたので、これまでの白色のヒゲは余り目立たなかったので敢えてはっきりとした色合いにしてみたのです。
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 そして続いての写真は正面右側のヒゲ、こちら側の後側のヒゲを切断してしまったのでその部分を覆うべく、桃色の筋を1ついれてあります。また前側のヒゲの先に緑の点があるのはアクセントと言う事で、これ等は正面から見て左側には何れも存在しない右側だけの特徴となります。
 最も左右どちらにも新たに追加された色が1つあります。それ黄緑色です、これは顎の濃い緑と頬の青色が比較的に通った色合いの為、その境目が分かりづらかったので分かり難さを解消すべく追加しました。
 なお塗ってからこれは横浜線の帯の色に似ているな、と思ってしまった時には不思議と微笑まずにはいられませんでした。その横浜線の写真は2009年8月15日に淵野辺駅近くのお稲荷さんへ行った際に撮影したものです。
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 その様な具合で昨年制作して以来、最大の変化を遂げた自分の狐面「風麿」。今後とも色々とあるかもしれませんが大事にしていきたいものでした。
posted by 冬風 狐 at 23:12| Comment(3) | TrackBack(0) | 狐(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月18日

太鼓の練習と狐神楽での名前

 どうも太鼓の稽古をする時間を何処に作れるか、と思いながら予定とにらめっこしている狐です。
 狐神楽では自分は以前にも紹介しました様に鳴り物担当、中でも太鼓を主に任せられています。任せられている、と書いたものの実態はまだまだ練習中の身であり、先の土曜日に初めて本物の太鼓を叩いた所からもそれは明らかなものでしょう。
 確かに10月末に初めて太鼓の撥を手にした頃から比べると、全くしていなかった時と比べればずっとそのリズムや楽譜は分かる様にはなってきました。しかしとても人前で見せられる代物か、となるとそう言う事は皆目ないレベルでとにかくまだまだお話にならない程度であるのは言うまでもないでしょう。それを考えるとまだまだ足らない、練習即ち稽古あるのみであるのが事実であり、日曜の晩にありました稽古の席ではその事を強く意識せざるを得なかったものでした。

 しかし幾ら練習あるいは稽古したくとも様々な壁があるのも事実です、特にそれは時間でしょう。少なくとも、これは自分と外部の要因、それぞれで半々と言うところで2月まではほぼ予定が埋まってしまっています。
 最も予定が埋まっている=全く手が出せないと言う事はありません、端々に空いている時間はありますから短時間でもそこを利用すれば良い訳です。また、これは既にしている事ですが昨年末に頂いた御囃子のCDを再生させながら別の作業に打ち込んでいる、と言うのも個人的には結構効果あるところなので引き続きしていきたいところです。
 そんな具合で何とか練習は継続出来そうなのでホッとしていますが、2月の半ばから後半にかけてしばらく海外に行ってしまうのでその間をどうしようかと地味に思案しています。一番良いのは撥と楽譜を携行、滞在先での暇な時間に叩いている事ですが昨年にヒースロー空港にて、鞄の中に入れていた神社のお守りを不審物として疑われた一件が地味に引っかかるところであったり。
 何せ海外です。お守りの時は「Japanese lucky charm」と言う事で係官は納得してくれたものですが、太鼓の撥はさてどうしたものか。昨年末から何かとテロ情報が流れ、そしてストックホルムで実際に自爆テロが起きて色々とぴりぴりとしているであろう欧州を巡るのを踏まえると、なるべく疑われる可能性のある持ち物は減らしたいのが本音ですのでそれなりの期間、太鼓の撥としばし離れる事になりそうなのが残念であります。

 そんな具合でまだまだ当分は鳴り物役、としては練習と稽古に励む事になりそうですが色々と決まる事は決まるものでして、15日のゑの木市においてある物を狐丸さんが示して来ました。
 それは狐丸さんの作られた真新しい巻物、中に何が書かれているかと見ますと狐神楽の団員全員の言わば名簿的な巻物でした。そこにある名前は狐神楽における狐としての名前、となる訳でして自分の場合は野狐衆に分類された上で「甲斐狐の風麿」と賜ったところです。
 どうして風麿となったのかはまた書く機会があれば取り上げたく思いますが、個人的な感想を書くならば「麿」と付くとは思わなかった、と言えましょう。だからこそ印象深いものですし、名前を賜った以上、更にそろそろ舞台衣装も調えないとの話も狐神楽に行く度に出て来ているだけに、自分の任せられた太鼓に関してはしっかりと練習と稽古を積んで整えて行きたいもの。
 そして狐神楽関係で書く時、あるいは名乗る時は「風麿」と名前を変えるべきなのか、とふと過ぎっています。名乗る時はある意味当然でしょうが、書く際は果たして何処でどう「冬風 狐」と棲み分けさせようか?ちなみにこれまでは「甲州狐の冬風」と呼ばれていました。
 大した事ではないかも知れませんがふとした目下、太鼓の練習時間確保と共に重大な狐神楽に絡んだ関心事の1つなのでした。ふ太鼓がまだまだであるのに狐神楽としての名前を名乗って良いのか、と言う複雑な気持ちを抱いてしまうのも重大な関心事と見てしまう一因なのかもしれません。
posted by 冬風 狐 at 04:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 狐(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月16日

新年初の装束ゑの木市と初稽古

 新年明けて15日目の昨日は今年初の装束ゑの木市となりました。
 15日目、と言うとなんだが新年と言う気分もどこへやら、との具合になってしまいますし、この間に既に2度装束稲荷へはお参りに行っていますので実感としてもそこまで新年らしい心地ではないものです。
 その様な事情があるとは言え、昨日が今年最初のゑの木市であるのは変わりありません。また大晦日の狐の行列に参加出来なかった自分にとって、狐神楽の団員の多くと一堂に会せる今年初の機会となるからこそ、今回もまた狐野君と共に、−3℃の気温表示を朝7時台に街頭の温度表示計が示している高崎の街を、自転車で横切っては高崎線に乗り込んでいざ王子の街へと向かったのでした。

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 王子に着いたのは10時直前の事で普段よりもやや遅い頃合でした。とは言えまだ装束稲荷では準備の最中であり、傍らに荷物を置いて幟を立てる等の手伝いをしている内に気が付けば11時の始まりの時間となっていました。
 昨日のゑの木市に参加した狐神楽の団員は自分と狐野君を含めて5名。12月のゑの木市がほぼ全員揃ったのに比べると対照的な人数ですが、昨年末より新たに加わりました団員の月姫さんと共に油揚げをまずは売る等して過ごします。
 また今回は20色限定でネギ入りカレーうどんが1杯300円で販売され、1杯試食させて頂かせてもらいましたが昼頃にかけて寒さがちょうど強まっていたのも相俟って、中々美味しかったところです。
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 また風水稲荷貯金箱なる狐の姿をした貯金箱も並び、水狐さんと対面する一幕もありました。中々微笑ましい和める光景だったと言えるでしょう、ちなみに今日の水狐さんは一眼レフ片手に中々決めた姿で格好良かったです。
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 しかしその寒さ故に装束稲荷の前を通りがかる人の姿も少なかったのはまたもう1つの事実、よって自分が参加する様になってから客足と言う点では最も少なかったゑの木市であったのでしょう。とは言え立ち寄ってくれる方は立ち寄って下さいましたし、中には油揚げ1箱、つまり25枚お買い上げと言う方もおられましたのでこの寒さの中では善戦出来たのではないかと思えます。
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 最も今回、自分が主にしていたのは販売ではありませんでした。前述の様な事情もありましたが何時もお囃子をして下さいます方が1名、今回は来られなかった事から鳴り物、笛と太鼓が空いており狐丸さんと水狐さんが上に登って2人で練習をしていました。
 それをふと合間に眺めていますと稽古をしようじゃないか、と言う流れになり、持ってきた撥を手にして社務所の2階のその場所へと登り太鼓の稽古を残りの時間ずっとしていたのです。
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 太鼓の稽古を始めてそろそろ3ヶ月が見えてくる辺りですが、これまではリズムを覚える等、そちらばかりしていたので太鼓その物を叩いた事が実はありませんでした。よって今回初めて本物の太鼓を叩く事になったのです。
 自主練習では空になったティッシュ箱を見立て叩いていたので、太鼓を叩ける事自体は中々嬉しく、日頃の環境では存分に練習が出来ない事もあって念願叶ったりの絶好の好機でした。
 最もそれは同時に下手な緊張も招き抱いてしまった点はあり、稽古の当初では変な所で腕が止まってリズムを忘れる、あるいは狂わせてしまう等のミスを重ねてしまいましたが、1時間ほど延々としていると解れてくるもので結局、それからゑの木市の終わる直前までの合計2時間ほど、ひたすら時間を忘れて1人練習に打ち込んでおりました。
 矢張り実際に太鼓を叩けると違うもの、まず音が違いますしその感触と言うものもティッシュの空箱には当然敵いません。次に打てるのは何時になるかは分かりませんが、今日の感覚を忘れぬ内に繰り返し練習を重ねて習熟させていきたいものです。

 ゑの木市の片づけをした後はその流れで大晦日の狐の行列の最後の後片付けの手伝いに。ただ見ているだけでは接せられない裏方の模様、また立ち入れない場所に入っての作業もまた個人的な興味を大いに刺激されたものですし、改めてこのゑの木市に関われる様になった縁を嬉しく思えてなりません。
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 そんな具合で終わった、寒風の下の今年最初の装束ゑの木市。来月も・・・と言いたいところですが、実は来月に限りゑの木市は行われません。次のゑの木市は3月第三土曜日となります。
 しかし2月は名前を変えて別の日に装束稲荷の縁日は行われます、よってこれに関してはまた取り上げる事にしましょう。
 それでは皆様、今回もありがとうございました、そしてお疲れ様でした。
posted by 冬風 狐 at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 狐(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月05日

装束稲荷に詣でて伏見稲荷へ

 どうも2011年、平成23年も始まり5日目の晩となりましたがいかがお過ごしでしょうか。
 昨年は10月以来、狐好きと言うものをある形、即ちそれは狐神楽となりますが、それと具体化出来た、出来たとまでは言えずとも至るまでの道筋をつけられた年でした。だからこそそれに対する感謝の気持ちを抱きつつ、昨日4日は装束稲荷へと初詣へ行ってきました。
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 初詣自体は地元の氏神さんで、お稲荷さんへのお参りとして見ても2日に地元の少し離れた所にあるお稲荷さんへと詣でてしまったものですから、完全な形での今年初のお参りではありません。とは言え年末の王子の狐の行列には所用もあり参加出来なかった事もありますから、なるだけ早く、と言う点から4日の装束稲荷への初詣となったのでした。
 先月25日以来およそ10日ぶりのお参りとなった装束稲荷は31日の晩の装い、つまり黄色の提灯や看板等もそのままになっていて狐の行列当日の雰囲気を髣髴とさせる、そんな具合のままでありました。
 これにはやや意外な感想を抱けてしまいます。つまり既にこれら、狐の行列当日の装いは片付けられてしまっているだろう、そう考えていたからです。しかし同行した狐耳君のほぼ当日のままになっている、との言葉もあって行列自体は終わってしまい、さらに今は陽光の注ぐ昼間である事を考慮しても、その片鱗に少しでも触れる事の出来たのは幸いなものでしたし、何時かは行列に参加したいものだと思いを噛み締めさせられます。
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 その様な中で装束稲荷へ詣でた後は王子稲荷へ、王子稲荷へ行くのは昨年10月のゑの木市以来の事ですから実に3ヶ月ぶりとなります。4日は平日ですから正面から入る事は出来ないかもしれない、と思っていましたが幸いにして境内にある保育園は休みであったので、表から入って石段を登りお参りをします。境内は新年まだ明けて4日と言う事もあってか、参拝者の姿が程好くあり冬の柔らかい日差しの下での和やかな空気に満ちていました。
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 その後は1日2往復しかない王子駅と亀有駅北口を結ぶ東武バス王30系統に乗り込んで亀有駅へ、そして友人のライシーンさんと合流してからは新御茶ノ水で中央線に乗り換えて吉祥寺へ降り立ちます。
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 吉祥寺までわざわざ来たのは井の頭自然文化園にいるホンドキツネを久々に見に行こう、と言うプチオフの為でした。その井の頭自然文化園のある井の頭公園の中には弁天さんと池を挟んでお稲荷さん、親之井稲荷が地図にも載る事無く存在しています。よって自然文化園の分園で鳥を眺めた後は、親之井稲荷へ立ち寄りお参りとなります。
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 この親之井稲荷さんは普段はそれこそ静かな、まるで忘れ去られているかの様な趣があり、これがまた味なのですが新年だからでしょう、「親之井稲荷大明神」と白く抜かれた赤い幟を幾つも、また違った味わいを木漏れ日と水面から反射する光による独特な明るさの中にはためかせている、普段と少し異なる、しかし相変わらずどこか心おつく静けさをまとっていました。

 そして賑わい、煙の香りの色濃い弁天さんをお参りしてから自然文化園本園でホンドキツネを堪能した後は、吉祥寺駅より電車で新宿へ。
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 もう時刻も17時を回ったあたりで暗さも深まりつつありましたからこのまま夕飯、そう言う流れを浮かべつつ車窓を見下ろしながら雑談していたその時、不意にどこにでもある路地の入口にある意味では場違いな鳥居の姿が目に入りました。
 その姿には自分だけではなく狐耳君やライシーンさんも気がつき、ちょうど駅、西荻窪駅に到着したところで見かけたものですから、では行ってみようとさっと電車を降りて改札の外へ。そして北口へ回り、左手に折れて数分と行くこともない所にその鳥居はありました。
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 電車の中から見た時と同様に、鳥居は路地の入口に唐突に立っている印象で奥には社の姿もありません。むしろ路地はすぐ間も無く西荻窪駅の高架橋で行き止まりになっている具合で、最近高崎の駅前に出来た鳥居をその入口に置いている商店の様でもない、しかし鳥居自体はしっかりと色が塗られた新しい、と言う印象すらあって松が巻かれて街路灯の明かりに映えているのには、異世界の入口でもありそうな雰囲気を纏っていると言えるでしょう。
 その中で神額を見上げるとそこには「伏見稲荷神社」の文字が彫られています。最もその部分は大分古びていましたから鮮やかな朱色の部分は塗り替えられたのかもしれません。よってとにかくお稲荷さんである事が明らかになったので奥へ進むと、先に入っていた狐耳君がそのお稲荷さんの社を見つけていました。
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 社と言ってもそれは小さな祠を少し大きくした、と言う具合で路地が高架橋に当たって尽きる手前、鳥居から見て右手の建物の壁の間にめり込むようにして作られた空間に置かれていました。そこには手作り感のある特徴的な反り方をした高さ2メートルほどの鳥居が注連縄と鈴を伴って立っており、その根元には鉢植えが置かれています。まるでどこかの庭先の一角、そんな雰囲気すらありますがそこはお稲荷さんでした。
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 しっかりとその地域の人々から管理されている様で、壁には改修に際しての奉納者の一覧をしたためた紙が貼られていましたし、賽銭箱も金属製のしっかりとした物が置かれていました。このお稲荷さんについては全く知らなかっただけに、ふと数年前に親之井稲荷さんを見付けた時、つまり地図に載っていないお稲荷さんを見つけた時に感じるあの嬉しさを抱きつつ、残照が残る中のお参りとなります。

 ちなみにこのお稲荷さんのある路地は入口からは分からないのですが、お稲荷さんの前まで行くとただ行き止まりなのではなく、西荻窪駅の中にある西友の入口の1つへ繋がっている路地でした。よって意外と人の行き来があったものです、そして自分達もお参りした後は西友の店内を経由して駅へと戻ったのでした。

 この様な具合で、また新たなお稲荷さんと始まった今年の稲荷巡り。狐神楽と共に色々と深めていけたらと思えてならないものでした、そして本年も末尾となりましたがよろしくお願い致します。
 写真は全て2011年1月4日撮影となります。
posted by 冬風 狐 at 21:54| Comment(2) | TrackBack(0) | お稲荷さん探訪録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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